今回は先日東京国際映画祭(TIFF)で鑑賞した映画『チェイン・リアクションズ』について語っていこうと思います。今後一般上映や配信される事もあるかもしれないので、ネタバレには注意です。
↓東京国際映画祭についてはこちら
イントロダクション
今から50年前の1974年に公開し、多くのクリエイターやカルチャーに影響与えたホラー映画の金字塔『悪魔のいけにえ』についてのフィルムドキュメンタリー。コメディアンのパットン・オズワルト、映画監督の三池崇史とカリン・クサマ、映画評論家のアレクサンドラ・ヘラー=ニコラス、作家のスティーヴン・キング。5人それぞれの『悪魔のいけにえ』との出会いや受けた衝撃についてからその凄さを紐解きます。
ちなみに『悪魔のいけにえ』のあらすじは、ドライブ旅行中の若者5人組がテキサス州のとある洋館を訪れるとそこには常軌を逸した家族が住んでいたというもの。「13日の金曜日」のジェイソン・ボーヒーズや「ハロウィン」のブギーマン等と並ぶホラー映画界のアイドル レザーフェイスの初登場作品となります。
またニューヨーク近代美術館(MoMA)にフィルムが所蔵がされているホラー映画としても有名。確かMoMAで収蔵してるホラー映画って確かこれと『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年公開)だけなはず。かたや「ナイト~」はゾンビカルチャーを生み出した金字塔ですからね。
『悪魔のいけにえ』は何が凄いのか?
まずこのドキュメンタリーの形式に沿って私の”悪いけ”とのファーストコンタクトを。
初めて観たのは大学生だったと思います。当時は配信サービスなんて入っていませんし、それに近所のTSUTAYAに置いてなかったので観るのが難しかった作品。その為、わざわざ新宿か渋谷のTSUTAYAでDVDをレンタルして観たんです。今やTSUTAYAは新宿から無くなり、渋谷は店頭レンタルから撤退。遥々借りるみたいな事が無いのはちょっぴり寂しいですね。
それで授業が無い日の平日昼間に鑑賞し冒頭から度肝抜かれました。ポラロイドカメラのシャッターと共に映し出される死体のドアップ。あのシーンだけでただならぬ雰囲気を察知し、吐き気を催す気持ちになったのを覚えています。その後もラストに至るまで信じ難いシーンの数々に思考停止。なるほど、本当に恐ろしい思いをすると人間の思考って止まるのか…。決してゴア描写という程グロテスクなシーンは無いのに、こんな表現が出来るのかと肝が冷えました。それから今日に至るまで3~4回は観直したでしょうか。恐ろしいのは分かっていても観てしまう、一体何故なのか?
本ドキュメンタリーでは『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年公開)をはじめとした古典ホラー映画との共通点や“悪いけ”の影響が見られるホラー映画について(1999年公開『ブレアウィッチ・プロジェクト』とか)語られますが、オーストラリア映画との共通点の話は個人的目から鱗ポイント。本ブログでは以前にマッドマックス新作公開に託けてオーストラリア映画特集をやりましたが、乾燥地帯特有の色味や雰囲気。低予算映画だからこその底から湧き出るエネギッシュさという共通項が私の心を掴んでいるのかも。まさか『ウルフクリーク/猟奇殺人谷』(2005年公開)や『荒野の千鳥足』(1971年公開)の話が出るとは思わなんだ。
そうして観ながら考える内に何度も観直す理由が分かりました。この映画の凄さは「狂気」そのままカメラに収めてしまったような直接心にぶつかって来るような野蛮で過激な描写の数々。しかしその中に映し出される一瞬の美しさがあるのです。そうです、この映画は美しい。リアルな実生活では近づけない、いや近づいてはいけない暴力の先にある美しさ。フィクションだから成し得るそんな至上の絶景が観られるのです。
↓オーストラリア映画特集はこちら
まとめ
以上が私の見解です。
それにしても三池崇史監督の『悪魔のいけにえ』の出会い方よ。『街の灯』(1931年公開)のリバイバルを観に行くも満席で入れず。他に何か観て帰ろうと目に入ったポスターから、ちょっとエッチなものが観られるかもと期待して劇場へ。それが『悪魔のいけにえ』って…w しかしそうした映画との偶然の出会いは羨ましい限りです。今のような情報社会では否が応でも映画についての情報が入ってきてしまうので、なかなか真っ新な状態で観られる機会が少ないのがねぇ。
おまけにそれ以降『街の灯』を観てないって言うんだから、思わず「マジかよ!」と声出ちゃいました。まぁ私以外にも爆笑してた人は居ましたし、時折り笑い声が聞こえる和やかな雰囲気でした。やっぱり一般上映もして欲しいな。
あとスティーブン・キングが『シャイニング』(1980年公開)の映画化が嫌いな事も分かりました。ネタだと思ってたけどマジなんだなw
という事でこの辺でお開きです。ありがとうございました。