キャプテン・シネマの奮闘記

映画についてを独断と偏見で語る超自己満足ブログです

第147回:映画『ある男』感想と考察

今回は現在公開中の映画『ある男』について語っていこうと思います。毎度のことながら、ややネタバレ注意です。

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イントロダクション

日蝕』で芥川賞を受賞した作家 平野啓一郎の同名小説の映画化。今作は第79回ベルリン国際映画祭のクロージング作品に選出されています。

離婚後に子どもを連れて宮崎の実家に帰った里枝(安藤サクラ)は、そこで出会った谷口大祐(窪田正孝)と名乗る男と再婚。幸せな家庭を築いていたが大祐は不慮の事故で亡くなってしまった。ところが疎遠となっていた大祐の兄(眞島秀和)が、遺影に写っているのは大祐ではないと話したことから、全くの別人であることが判明。弁護士の城戸(妻夫木聡)が依頼を受け、彼の正体を追う事になる。

監督は『蜜蜂と遠雷』(2019年公開)の石川慶。去年公開の『Arc アーク』が結構好きだったので、個人的には注目株。そういえば2017年の『点』って短編映画も手掛けてますね。あれも良かったな。

あらすじで触れた人物以外では、清野菜名柄本明、でんでん、真木よう子 等が出演。錚々たるのメンツ揃ってるあたり製作側の本気度が感じられる気がします。

↓『Arc アーク』についてはこちら

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自分が自分である事を証明するものとは?

なぜ「谷口大祐」という別人の名前を名乗り生活をしていたのか。男の正体と本物の谷口大祐の行方を追っていくうちに死刑制度やその死刑囚の遺族、在日朝鮮人へのヘイトなど日本社会の問題も絡み複雑化。どんどん深みにはまっていく物語は自分が一体何者なのか? というアイデンティティを問いかけきます。名前や国籍、最近だとマイナンバーカードなんかが出てきましたが、果たして自分を自分であると証明する履歴の類が本当の自分を表しているのでしょうか。あれですね、ポール・ゴーギャンの絵画のタイトル「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が頭に過るようなテーマの作品でした。
また幾何学的な雰囲気の映像、ライティングの感じも良き。この監督の作品、総じて好きかも。台詞は控えめな視覚的映画を撮れる日本人監督って少ない気がするし。

それに人物の後ろ姿を捉えたシーンが印象的。自分を見ているようで見えないみたいな感覚。この印象付けには冒頭に登場する絵が効果的でした。あの絵、何でしたっけ?私、国立西洋美術館で見た気がするんですけど…気のせいかな。

まとめ

以上が私の見解です。

予想していた以上に満足感が得られた上質なミステリーでした。ラストシーンも好きですね。なんていうか金持ちやモテる人種の人生を羨むのと同じで、なんてことない他人の人生を望む瞬間ってふと訪れるものなんだと。

ちなみに私の推しである仲野太賀も出演してるんですけど一言も台詞なかったですね。ほぼ写真でしか登場しないし特別出演にも程がある。ただあの表情ができるからこその起用なんだろう思います。いやさすがっす。

ということでこの辺でお開きです。ありがとうございました。

※追伸:

冒頭に登場する絵画、調べてみたところあれはルネ・マグリットの「複製禁止」でした。そして私が見たかもといったのは、ヴィルヘルム・ハーマンスホイの「ピアノを弾く妻イーダのいる部屋」って作品でした。今回絵画についての話多めでしたけど絵画の知識、まだまだ浅いなぁ。でもちょっと構図が似てるのよ。