ここ最近、映画上映中にスマホをいじる問題が話題になっているようです。なるほど、私の出番のようです(誰も呼んでねぇ)。ただやはり映画館を愛するものとして、黙ってはいられない事案です。胸糞悪さから来る興奮を勢いに、問答無用に一石投じさせて頂きます。
TOHOシネマズのホームページの画像を引用。ここには「上映中は携帯電話の電源はお切りください。」と書かれています。
事の発端
どうやらこちらの事件が火種ようです。動機は「男性が上映中にスマートフォンをいじっていたので注意したが、やめなかった」とのこと。
この事件を知り、私が最初に思ったのは今までなかったのかということです。メディアで取り上げられていなかっただけなのか、警察沙汰まで発展したことがなかったのか。どちらにせよ、何処かで起きていても何ら不思議ではない事だと思いました。
私自身の体験として
先に私自身の体験を話しておきます。
これまで何百回と映画館に足を運んできましたが、はっきり申し上げて上映中にスマホをいじる人に遭遇したことないんですよね。運が良いのか、私が鈍感なのかは分かりません。しかし1つ考えられる影響は、見に行く作品による客層だと思います。私が行く作品は上映館数が少なく世間ではそこまで話題にはなっていないものが多い気がします。そのせいか、スマホばっかみてそうな若造(私の若造なんですけど)が多数を占めるようなシチュエーションは少ないです。たいてい私よりも年齢高めな方ばかり。また猛者の香りを放つ人と遭遇することも(例えばアメコミグッズを身に付けてアメコミ作品を見に来てる人)よくあります。こうした人達が途中でスマホをいじるなんて考えにくいですよね。よって私の経験上で言うなら、いじる人はごく少数だと思います。見かけないからこそ、より一層腹立たしく感じるのかもしれません。私も遭遇したら理性を保てるだろうか…。
ただ、エンドクレジットでいじる人はよく見かけます。エンドクレジットならまぁー百歩譲って許せます。エンドクレジット後のボーナス映像がある作品の存在や暗い中で退場の準備をするのが大変などの理由で時間を潰しているのでしょう。普段エンドクレジットを見る習慣のない人とってはあの時間は苦痛でしょうから仕方ないように思えます。
いじる人たちの言い分
ここまで割と穏やかに話してきましたが…しかしね。Twitter上に挙がっていた以下の画像を見て、久しぶりに腸が煮えくり返りました。まずはこちら。
でたよ動画野郎。
短いコンテンツに慣れすぎたいかにも現代人らしい言い分です。別にYouTubeなどの動画コンテンツを敵視するつもりはありませんし、私自身時々見ます(ほとんど映画関連ですが)。ここで私が言いたいのは映画とネット動画は、同じ「映像」であっても全くの別物であるということ。映画は「映像」ではありますが、どちらかと言えば小説という「読書」に近いところがあると思ってます。「映像」の場合は、頭を空っぽにして集中して見なくても理解出来たりしますが、映画は違います。起承転結を追い、登場人物の心情やストーリーに隠されたメッセージや行間を読み解く。この行為を約2時間続けた先にある達成感とカタルシス。我慢の出来ない人間には到底辿り着くことは出来ない領域にあるのが映画なのです。そもそも、なぜこのような2時間の我慢が出来ない人間が映画館に行くのでしょうか。甚だ理解が出来ません。
これだけで充分ぶちギレてますが、更にこちら。
知らんがな。そんなに心配なら家で永遠にスマホを見つめていて下さい。
私の人生がしょぼくれているからかもしれませんが、緊急で連絡をしないといけないことや重大な事なんて人生そうそう起きませんよ。もっと肩の荷を下ろして、純粋な心で作品に挑んで見たら携帯なんてどうでも良くなるはずなんですが。果たしてこの方は、心に余裕を持ったことがないのでしょうか。常に漠然とした不安に付きまとわれているなんて可哀想ですね。社会の病理を見た気がします。
また、2つの発言に共通して言えるのは集中力の欠落でしょう。 情報社会となり、常に送信と受信を繰り返す日々に身をさらされている現状が影響していると考えられます。やはり技術の進化は人間の退化をさせるのかもしれません。
まとめ~映画館とは何なのか?~
さて、怒りを鎮めて冷静になりましょう。まとめとして映画館ってどんな所なのかをちょろっと述べます。
過去にも述べてましたが、映画館とは平等な場所です。スキルや才能は必要ないし、社会的地位や経済的余裕も作品を目の前にしたら関係ありません。そこには「みんなで楽しむ」それだけしかありません。この平等性を維持する為にはルールが必要です。誰もが好き放題やっていたら無法地帯になるばかりで、楽しむものも楽しむことは出来ません。映画館って民主的なんですよ。映画館がルールを守る健全な人々で溢れることを願ってやみません。
最後にあんま関係ないですが、昨今のコロナ事情で苦境に立たされた映画館に対するクリストファー・ノーラン監督の感動的な発言を結びにお開きにします。
映画館は闇に包まれてしまった。だが決して映画がその価値を失うことはない。この危機を乗り越えた時、人々の集まりたいという思いや、共に生き、愛し、笑い、泣きたいという願いは、かつてないほど強くなるだろう。映画館はそのすべてを、私たちにもたらしてくれる。だから、私たちには映画が必要なのだ。
ありがとうございました。