キャプテン・シネマの奮闘記

映画についてを独断と偏見で語る超自己満足ブログです

第138回:よく見る「映画」論争を考えてみた

今回はちょっくら映画に関する雑談を。本ブログ始めてから2年半以上経ったわけですが、同時に始めたTwitterも2年半が経つ事になりました。映画についてのアカウントとして動かしているのでTLには映画についてあれやこれやが乱立。そんな中、同じテーマが取り沙汰され定期的な論争になっているように見受けられます。無論私は蚊帳の外から一幕をチラッと覗くだけのザ・外野ですが、ふと“自分はどうかなぁ?”と考えてみた4つの議題について適度にまとめてみようと思います。果たして貴方は共感?それとも反感?まぁ知ったこっちゃないですが。ちなみに結構偉ぶった内容になるので腹の立つの人はどうぞお引き取りを。どうせ私の駄文ばかりの三文ブログに付き合ったって何も得られませんよ。

 

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↑おぉ論争じゃかかってこいやぁ!シャキーン!

邦画はつまらない論争

まずはこちら、

「邦画はつまらん!vs そんなことない!」

これに関してはフィルムドキュメンタリー『ストーリー・オブ・フィルム』を語った際に扱ってました。なので同じ話をするのも野暮ったいので手短かに。

買い付け師というフィルターや制作費等の規模の違いがあったりするので相対的に言えば洋画で空振りをする確率が低いかもしれません。ただそれが全てではありませんよね。私自身、丁度2年前ぐらいのコロナ禍で洋画が減ったタイミングで面白い邦画に沢山出会う事が出来ましたし、視野を広げてみることや自分に合う/合わない作品かの選球眼を身に付けるのが大事だと思います。食わず嫌いが一番勿体無い。

それに世間の評判や風潮なんて気にしている内は生涯のベストには辿り着けないと思います。自分にとって大切な作品って自分でしか見つける事が出来ないので。

↓詳しくはこちら

captaincinema.hatenablog.com

エンドロール離席論争

お次は映画館における

「エンドロールで席を立つな、邪魔だ!vs 個人の勝手だ、自由にさせろ!」

私自身エンドロールは観る派です。余韻に浸るとか上映後のゆっくり明るくなってくる場内が好き等々理由はありますが、結局一番は“この部分も料金に含まれてるよなぁ”がデカい気がします。出たよ、貧乏性。

勿論離席する人の気持ちも汲み取れます。生理現象の格闘やスケジュールの都合、作品に対する憤慨だったり理由は十人十色。私も膀胱という名のダム決壊の危機を迎えエンドロール中に出た事ありますし色々あるさ、しょーがない。マナーや良識を守っているなら何ら問題のない話なので、わざわざ言い争うのもストレスだと思いますね。

ちなみに家で映画を観る場合はちゃんと座った状態でエンドロールを観る事がほとんどありません。垂れ流しの状態でお菓子や携帯に手が伸びたり。夜だと歯ブラシ片手に観るは恒例行事。家だとね、色々と目についちゃうんだ。だからこそ映画館という世俗から切り離される特異な空間でのエンドロールは大事にしたいものです。

ポリコレ論争

お次は、

「ポリコレが映画をつまらなくしている!vsそんなわけねぇだろ、差別すんな!」

ここ最近よく聞くようになった「ポリコレ」。正式名称は「ポリティカル・コレクトネス」、直訳だと「政治的誤りのないこと」になります。ざっくり言えば、人種や性別などの違いによる偏見や差別が含まれない中立的な表現や用語を用いることだそう。とりわけ映画では人種や性別における中立的なキャスティングで話題になる印象のワードです。私最初にこの文字列見た時、ハロプロか何かだと思いましたよw。ってな感じでこの辺に関しては明るくありません。

明るくないせいでしょうか。ちょっと配慮し過ぎの風潮に見える時もあると同時にマーケットの裾野を広げたり各企業のイメージアップを図るための戦略の一環かもしれないと思うこともあります。ただ一つ間違いなく言えるのは、ポリコレに配慮したから映画がつまらなくなるのではなく、原因はもっと根本的な部分にあるということです。

例えば登場人物のキャスティングに特化した点で言えば、注目すべきは人種や性別ではなくその役者の演技力やカリスマ性みたいな部分でしょう。って言うかそもそも魅力を感じないキャラクター設定であれば、それまでの話。ぶっちゃけ素人なんかの演技の善し悪しって大雑把だし、キャラ設定の方が重要だわ。中身が薄かったり観ている側を悪い意味でイライラさせるキャラはどんなに芸達者な実力者が演じたところでつまらないです。

丁度現在公開されている日本の小説を様々な人種の役者が演じる『ブレット・トレイン』や冒頭で性別は関係ないと打ち出す『さかなのこ』がいい例かもしれません。両作品ともポリコレの観点で語る事が出来そうですが、結局映画は面白いか面白くないかだけの話だと思うので、正直私はあまり気にしません。勿論、面白い/面白くない には個人差がありますが、要するにつまらないと感じる映画はどっかが破綻している可能性があるってことです。ポリコレのせいにするのは大抵の場合ミスリードでしょう。

ちなみに最近某ディズニープリンセスの映画の予告編があーだこーだ言われていますが、本編を観ていてない段階で良い悪しを言うのはあまり気が進みませんね。まぁ私自身はそもそもディズニーアニメーションの実写映画化は基本スルーしている人間なので、恐らく観ないと思いますが。すんませんねぇ。

↓『ブレット・トレイン』について詳しくはこちら。

captaincinema.hatenablog.com

字幕派吹き替え派論争

最後は、

「洋画は字幕に決まってる!vs 洋画は吹き替えに決まってる!」

これに関しては「作品による」としか言いようがないですよ。

映画館で観る時は基本字幕。そもそも洋画の吹き替え上映って少ないので自ずと字幕が増えます。ただピクサー作品だけは吹き替えで観に行っている気がします。上映回数も多いのも理由ですが、子供の頃から吹き替えに慣れ親しんでいるというのもあります。同じように子供の頃から観ていて慣れ親しんだタイプの作品は割と吹き替えで観たくなります。例えばアーノルド・シュワルツェネッガーシルヴェスター・スタローン主演作品。あとは「ジュラシック・パーク」シリーズやサム・ライムの「スパイダーマン」シリーズもかな。どっちかに偏るのも当然個人の勝手ですが、自身のニーズに合わせて使いこなすのが上手い付き合い方だと思います。

まとめ

以上、各論争についてのモヤモヤした気持ちを勝手にぶちまけました。

それにしてもどうですか?この立場を明確にせず肯定も否定もしないスタイルは。これぞ我が文章マジック!(何言ってんだ)それは置いておいて、まとめとして映画のことのみらず意見の摩擦や貶し合いに対して常々思う事を書き記しておきます。

人間、思ったり考えたりすること自体は自由です。それがどんなに卑劣で差別的な事であったとしても各々の思想や価値観に制約を掛けるのはお門違いでしょう(制約ではなく教育は必要かもしれませんが)。大事なのはその思った事を言動に現すか否かです。ガキじゃないならコミュニケーションをする上であえて黙ることやオブラートに包んで表現する事の大切さは重々承知のはず。これさえ頭の隅に入れとけば差別や誹謗中傷、蔑み合いは多少軽減されそうなもんです。

とか言ってる自分がこうして思いをぶちまけているという矛盾に気付いたので撤収します。この辺でお開きです。ありがとうございました。