キャプテン・シネマの奮闘記

映画についてを独断と偏見で語る超自己満足ブログです

第155回:『映画を早送りで観る人たち』という新書を読んでみた件

さて年が明けて2週間近くが過ぎてからの2023年1発目。言いたい放題、エンジン全開いきます。

去年の年の瀬、年内に使わなくては期限が切れてしまう紀伊国屋書店のポイントを何に使おうかと書店内を彷徨っていると目に留まった新書が。それが稲田豊史の『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ ーコンテンツ消費の現在形』。昨今よく耳にする倍速視聴やファスト映画、スキップ再生という私のような映画を溺愛する変態には無縁の行為を扱った内容。そういえば以前に似た内容の記事をネット読んだ気がと思ったら、著者はその記事のライターと同じ方。これを読んだら悪しきと思っている習慣が少しは理解出来るだろうかと思い手に取りました。

という事で今回は本書を読んでみて思ったこと/考えたことを語っていきます。辛辣かつ人を貶す表現が予想されます。普段から“イマドキ視聴方法”(倍速視聴やファスト映画、スキップ再生等を私個人が総称した呼び方です)をされる方はどうぞお引き取りを。ってかそんな連中、こんななげぇ文章読めないか?w 

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タイパだけじゃないらしい

本書、映画やドラマのみならず昨今のアニメやライトノベル、ゲーム、YouTube等の動画、評論に至るまで様々な角度から事の真相に迫っており、今現在のコンテンツ事情をまるっと抑えることが出来ます。正直イマドキ視聴方法は、いわゆるタイムパフォーマンスを重視するせっかちな人たちが行う視聴行為だとばかり思っていましたが、それ以外にも様々な要因が考えられるようです。

特に驚きだったのが、金、時間、心に余裕がない事が起因いているのではないかという話。リーマンショックやコロナショックを経て「空白の30年」なんていわれる停滞した経済やスペシャリスト/個性を重視し過ぎる教育体制、すぐ隣に博識がいて不用意な発言は即座に叩かれるネットメディアとマウントと虚勢を張り合うSNS社会が作品を楽しむ余裕を奪っているのだとか。

今、80年代や90年代の音楽やファッションが若者の間でまことしやかにブームになっているのも現代日本の余裕のなさが影響しているのではないかというのを聞いた事がありますが、全てに余裕がないからコストパフォーマンスとタイムパフォーマンスという現代人らしい考え方が趣味の領域にも侵攻しているのです。もうこうなって来ると可哀想な世代と言わざるおえないZ世代。まぁ私も20代なのでこの哀しき世代なわけですがw。

また「わからない」=「つまらない」とだけしか解釈が出来ずに作品を貶す稚拙な人たち(分からないは恥ずかしい事じゃないしチンプンカンプンだから面白い作品もあるのに)やハッピーエンド以外受け付けなかったり見ていて辛いシーンはカットするという「気持ちが良い」の感情だけを作品に求める快楽主義な人たち(それならアダルトビデオで充分じゃん)といったように世の中におバ〇が増えたことも影響しているというため息の出る論も。

こんな人達が蔓延ると作り手側も無視する事が出来ず、フォローが出来るように説明台詞マシマシのしょぼい作品が増えます。結果倍速やスキップ視聴をしても理解出来作りとなり、イマドキ視聴方法が常習化。自身で考察する時間が無くなりおバ○な方が増えるという悪循環です。やっぱりさ、学校教育の一環で美術なり国語の時間を使ってある程度各メディアコンテンツとの向き合い方を教えるべきでは?

「オタク」になるということは

もう一つ興味深かったのは「若者がオタクに憧れている」という記載が見られたこと。

ひと昔、といっても90年~2000年代頃のオタクへの印象はなかなか悪いものでした。本書でも触れられていましたが88~89年に発生した埼玉連続幼女誘拐殺人事件で逮捕された宮崎勤の趣味嗜好がマスコミで取り上げられた事で「オタク=反社会的でヤバイ奴」という印象が根付きました。今なおオタクに対して悪いイメージを持たれている方々はこの事件や「萌え」を流行語にしたTVドラマ『電車男』のイメージが強いのかもしれません(あのドラマ観直したいな)。

しかし若者たちにとっては昔の話。好きな事に夢中になっているのは楽しそうや個性的など肯定的な意見が多く、憧れる人も居るんだとか。しかしオタクになるにしても時間は掛けたくないし作品選びで失敗もしたくない。さてどうするか?そこで登場、有名どころをざっくり抑える情報収集としてのイマドキ視聴というわけです。

どうやら「オタク」を一種のステータスやファッションとして得たいご様子。オタクが増えるのは寧ろウェルカムですが、果たしてオタクと呼べる存在なのでしょうか?

私の思う「オタク」なったといえる定義は、知らない間に周りの人と話が合わなくなることだと考えます。映画を例にすると、映画オタクの方って単に映画を観る以外にもやっている事があるのではないでしょうか。それこそ理解が出来なかったり、自分の知らない事件やテーマを扱った作品と遭遇した場合、関連する書籍やネット・新聞の記事を読んだりコメンテーターや評論家という有識者の意見をチェックしたりするはず。その積み重ねで作品を起点に芋づる式に知識が蓄積されていきます。監督や役者についてのみならず、歴史や社会問題をも。すると何が常識的に認知されているのか世間一般との距離感がバグってくるんですよね。

だから「最近○○って映画観たんだけどさ…」っと言っても相手の反応が薄かったり「○○って俳優がさ…」と言っても「誰?」と返されたり。そこで初めて “あぁ自分はマニアックな話をしたんだ” とオタクになった事に気付かされるんです。誰もが通る公道を無視してジャングルを無邪気に突き進んでいたらいつの間にか誰も居ない荒野にたどり着く、そんな感じです。

それに色々失ったものもあるでしょう。お金や時間、経験、あったであろう交友関係など。勿論自分の好きな世界に没頭できるのは楽しい事ですが、没頭し過ぎた分だけ得られなかったものもあるはずです。

つまりオタクなりたいのであれば、知識への貪欲さとそれなりの覚悟が必要だってことです。まぁなろうと思ってなれる奴なんて端から居ないと思ってますが。

まとめ

以上、言いたいことの独白劇でした。

倍速視聴やファスト映画、ネタバレなどの「イマドキ視聴方法」について、多少なりとも理由が把握出来たのは収穫。しかし自分もやろうとは毛頭思えないですし、嫌悪感は拭えませんでした。価値感が古いんでしょうね。まぁアップデートする気はないですし、私のような時代に抗う残党兵もまだまだ居るはずなので製作者サイドも1つの作品を大事にしない連中に尻尾振る必要はないですよと言いたいです。

そして、これからも私は私の道を突き進みます。タイパやコスパが悪い?売れてる話題の作品?観てないと友人たちとの話についてけない? そんな事は知らん!観たい作品だけを観ていくだけぞ!

という事でこの辺でお開きです。ありがとうございました。