キャプテン・シネマの奮闘記

映画についてを独断と偏見で語る超自己満足ブログです

第33回:映画『インセプション』の感想と考察 難解なストーリーに秘められたメッセージを独自解釈

今回は8月14日からIMAX・4DXでの再上映をしている2010年公開のクリストファー・ノーラン監督作品『インセプション』について語ろうと思います。公開から丁度10年なんですね。そうは思えないような作品で、私自身SF映画の中でも一番好きな作品です(マッドマックス/怒りのデスロードをSF映画に含めない前提ですw)。それをIMAXで見られる日が来るなんて…。

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イントロダクション

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予告に登場する「お前の頭の中に犯罪現場がある」っていいですね。

対象者の夢に侵入し、その人しか知り得ないアイディアや情報を盗む企業スパイたちのお話。主人公のドム・コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、ある事が理由でアメリカに住む家族に会えず、逃亡生活をしながらスパイ稼業を行っていました。そんな中、大企業の社長であるサイトー(渡辺謙)から、ある仕事に成功したらアメリカに返してやると提案されます。その仕事とは、ライバル企業の次期社長(キリアン・マーフィー)に会社を解体するための考えを植え付けるという成功確率の低いミッション。その困難なミッションへ仲間たちと共に挑んでいくことになります。

レオナルド・ディカプリオの名前が出てきただけでも充分なキャスティングですが、その他の出演者も相当豪華です。

『マッドマックス/怒りデスロード』や『レヴェナント/蘇りし者』のトム・ハーディ

『スノーデン』や『500日のサマー』、最近Netflixで配信開始となった『プロジェクト・パワー』のジョセフ・ゴードン=レビット。

ミッドナイト・イン・パリ』や『マリアンヌ』、アカデミー賞受賞歴もあるマリオ・コティヤール。

面白いことに今挙げた3人は、同じノーラン監督の2012年公開『ダークナイトライジング』にも出演しちゃってます。いや、被り過ぎだろw そんなメンツに渡辺謙がいるっていうのが感無量ですね。

 

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撮影の様子。右が監督で左がレオ様。地味に髪型似てね?

 

自身の夢体験を通して感じたこと

まずは私自身が記憶している夢体験を語りつつ、夢とは何ぞやってことを考えてみます。

最近見た夢で覚えているのが(最近と言っても映画館がコロナで休業中だった頃に見た夢)、映画館に行く夢でした。どんな作品を見たのかは分かりませんが、非常に満足した気分を感じている状態でした。意気揚々と映画館を出たところで、自分が手ぶらであることに気付きます。手荷物を取りに映画館まで走って戻ろうとするのですが、全く辿り着く気配がないという夢でした。今のところ正夢にはなっていないですが、ホント起きてもおかしくはないようなリアルな夢でしたし、映画館に行きた過ぎて見たのは間違いないでしょう。

また私がよく見るのは怒る夢です。電車内で酔っ払いに絡まれることや高学歴を振りかざして人格否定をしてくる嫌味な奴と対峙するなどシチュエーションは様々ですが、とにかく我慢の限界となり、怒りに身を任せ暴力を振るう夢は強く印象に残っています。普段は人に暴力おろか怒るなんてこと全くしない人間なので不思議なものです。逆に、普段怒らないからこそ潜在的に感じている不満やストレスを夢で発散しているのかも。現実で爆発しないように気を付けないと…。このように自分の抱えている願望や欲が謙虚に表れることもあれば、自分では意識していないものが表れるのが夢。

そんな心のバロメーターともいえる夢の側面をしっかり捉えているのが本作だと思います。主人公は、あるトラウマを抱えています。それが度々夢に現れミッションへ支障をきたすことになります。まぁ正確に言えば、そのトラウマと向き合うことが出来ず、意図的に夢の中で逃避が出来るようにしていたせいで、夢の公私混同状態になっちゃったのが原因でしょうけど、夢にトラウマが現れているのです。なんか夢って奥が深いですね。他人の印象に残ってる夢の話を聞いてみたいものです。

 

結局何が言いたい作品なのか

 ここまでネタバレしないように語ってきましたが、うーん、厳しい。やはりラストシーンについて触れなくては考察を語ることは不可能です。ラストシーンが非常に重要なので、未視聴の方はご覧になってからをおススメします。

今作は公開当時からラストで現実か夢かを判断するコマは止まったのか否かの論争があったようです。

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このコマとはトーテムと呼ばれるもので、夢か現実なのかを判断するために使うツール。コマが回り続けたら夢の中、止まったら現実です。ラスト、家族のもとに無事に帰還した主人公のコブは、現実かどうかの判断するためコマを回します。しかし、その行く末を見ずに子供のもとに駆けつけてしまいます。机の上で回り続けるコマ。軸がブレて止まかけのように見えた瞬間、映画が終了。エンドクレジットに入るのです。なんてズルい演出なんだ!果たして彼は夢と現実どちらの世界にいるのでしょうか。

この論争、正直私はどちらの解釈にも間違いはないと思います。だって、どちらもロマンがあります。むしろそれよりも大事だと考えているのが、コブがコマの行方ではなく息子・娘の顔を見て嬉しそうに駆け寄ったことです。この息子・娘の姿は、コブの幻想として何度も登場するのですが、顔が映るのはこのラストシーンしかありません。ここから私が感じるのは「夢だろうと現実だろうとそんなの関係ない。目の前にある幸福を味わおうじゃないか。」というトラウマの克服と幸福の享受です。これはもう子供たちの笑顔も相まって、涙なしでは観られません。

結局監督が言いたかったことってずばり「現実と向き合え」だと思います。それはエンドクレジットでも感じられはず。エンドクレジットの最後で『水に流して』という曲が流れます。この曲は、夢から現実へ戻す合図である「キック」の際に登場人物たちが使用している曲です。つまり、あそこで流れた『水に流して』は観客への「キック」の合図なんですよ。「映画」という夢に酔いしれることは気分が良くて幸せなことです。しかし私たちの本当の居場所ではありません。どんなに辛くても現実を受け入れることが大事だし、現実があるから「映画」という夢を楽しむことが出来るんじゃないでしょうか。

これは2017年公開『レディ・プレーヤー1』と似ています。あれはVRの世界でしたが仮想空間という意味では設定も同じですし、ラストは彼女さんとラブラブするという現実の幸せを嚙みしめていたわけで、伝えたいメッセージ性の方向も同じ気がします。『レディプレ』の場合はストレートに感じることが出来ますが、本作はなかなか感じずらい。私みたいな鈍感な人間は何度も観ないと分かりませんw。ノーランさんは、回りくどく言ってるだけなんですよ、きっと。

 

まとめ

以上が何度も見て辿り着いた私の見解です。

 “何度も見ないと分かんないのかよ…”と思った方でも大丈夫なはず。難しい内容を映像美や巧なストーリーテリングを駆使して、観る者を飽きさせないのがノーランさんの得意技。何度も楽しめる作品に仕上がってます。私も先週IMAXで観ましたが、物語に没頭するという意味においても映画館で本作を観るのは格別でした。

今がチャンス!劇場で是非。

ということで、この辺でお開きです。ありがとうございました。