今回はユルユルなテーマを。ユルいどころか近年稀に見るどうでも良いことを語ります。それが、私が映画から受けた良かった影響と悪い影響についてです。今までの私のブログを読まれた方であれば、変わった奴だということは薄々お気付きでしょう。大丈夫です。自覚してますから。こんな変な人になったのも、多かれ少なかれ映画の影響があるのは事実です。正常な皆さんが「変なやつ~」と思いながら楽しんで頂けると幸いです。
↑気が向いたので、今回の内容とは全く関係のない写真を貼りましたま。ミレニアムファルコン
悪い影響
まずは映画の見過ぎで付いてしまった悪いクセを具体的に挙げていきます。映画好きの方なら既に陥っている可能性の症状もあるかもしれません。
ムカついた時の口癖が「FU〇K」
一番マズい事案です。これは、オンラインゲームで世界各国のプレヤー対戦なんかをやってる人も陥りがちな現象ですかね。日本語で「くそったれ!」と吐き捨てる時もありますが、どちからというと「FU〇K」の頻度が高め。その原因と考えられるのは言うまでもなく映画です。洋画を見ているとジャンル問わず汚い言葉はよく耳にします。対して日本の映画やドラマは、口の悪い表現が少ないように感じます。
例えば、
Wifiの接続が切れて、インターネットに接続出来なくなれば「Fu〇king Bi〇ch !」
目の前で乗りたい電車が出発してしまえば「FU〇K Me !」
食事中、嚙み合わせをミスって口内の一部の噛んでしまうと「Oh....FU〇K…」(つい最近やらかして口内炎が出来ました。痛てーよ。)
酷いもんですよ。こんなシチュエーションだけ語学力高くなったって意味ないです。
特に発動率が高いのが天気予報を見ている時。外出予定のある日の天気予報で「雨」と聞くとお兄さん指立てながら「FU〇K」を連呼。まるで、天気予報のお姉さんに向かって悪態を付いているような有様。多くの人がドン引きするでしょうし、こうして我に返っている自分でもドン引きです。
気づくとエア射撃・エアファイト
見えない銃を構え、撃ち、そしてリロード。時には、拳を振り回し見えない敵をボコボコに殴り倒す。そんな小学生のガキみたいな低レベルなことを一人でやってしまうクセが付いてしまいました。特にガンアクション作品やボクシング映画を見た後は、一層酷くなる気がします。
でもですよ。一つ言い訳させて下さい。これって野球好きがエアでバット振ったり、有名選手の投球フォームをマネたりするのと根源的には同じだと思います。ゴルフの素振りをするおっさんもエアでギター弾いてる奴も同類ですよ。
あっ勿論、公共の場ではやってませんよ。さすがにそこまではイカれてないです。
映画トークを察知する地獄耳が鋭い
これは良いのか悪いのか微妙ですが、バカみたいに敏感になりました。
職場や飲食店、電車の中で「映画」のワードが聞こえると聴覚が反応。断片的に聞こえれくるワードを基に何の作品が話題になっているのか特定するため、今まで培ってきた知識をフル稼働させてしまうのです。特定出来れば満足。出来なければ自分の不甲斐なさを呪うという、意味のない一喜一憂を一人でするのです。例えばある日の電車の中。女の子とそのお父さんがこんな感じの会話をしていたのをよく覚えています。
女の子:「見たい映画があるの。タイトルは分かんないけど、不思議の国のアリスの2(ツー)なの。」
お父さん:「2なんてあるの?そんなの知らないよ。」
女の子:「あるよ!だって○○ちゃんが見たって言ってたもん!」(ややキレ気味)
お父さん:「えっとー…」
困惑するお父さんをよそに、私は即座に『アリス・イン・ワンダーランド』の続編であるとこを察知。快く教えてあげれば良かったのかもしれませんが、急に知らない男が「それはアリス・イン・ワンダーランドだよ!」なんて言ったら、単なる変態。お父さん、娘さんの願いを叶えることが出来たのでしょうか。いまだに気掛かりです。
「映画」以外のことに疎い
最近の流行だと『鬼滅の刃』ですか?「きめつ」って読むんですね。ちょっと前まで「おにめつ」かと思ってましたw。
こんな感じのやや疎い人間。中学・高校の頃はもっと酷かったのでかなり苦労しました。まぁ自分の責任なんですけど…。
例えば「好きな俳優は?」と聞かれれば「ジェイソン・ステイサム」と答えてました。「好きなテレビ番組は?」と聞かれれば「映画の放送」と返し「好きなアニメは?」と聞かれると「トイストーリー」と答える始末。ゲームも漫画も興じません。最近はだいぶ聞くようになりましたけど、音楽もほとんど聞かない人間でした。聞く音楽と言えば映画のサウンドトラックやテーマソングなので、アーティストを知らないという惨状。こんな奴がカラオケに誘われるわけありません。時々、若者の映画(特に洋画)離れを耳にする昨今の実状を考えると、学校のクラスという小さな社会環境の中において、私は単なる反社会的存在だったのです。
これでは流石にマズいと思った私は、いつの頃からか様々な知識を広く浅くインプットすることを意識するようになりました。インプットしておいて話題なった時にアウトプットするだけで、実際に試したりはしないんですけどね。この点に関してはプラスに働いたようにも思えますが、様々なものを失ってきた後悔の念は拭えません。
95%やる言い間違い
ケース1
A:「モナリザ描いた人って誰だっけ?」
ボク:「それはレオナルド・ディカプリオだよ!」
A:「…。」
ケース2
A:「卒業式とか紅白歌合戦の最後で歌う曲って何だっけ?」
ボク:「火垂るの墓だよ!」
A:「…?!」
ケース3
A:「日本人で初めてノーベル賞取ったのって誰だっけ?」
ボク:「えー、湯川学でしょ」
A:「それは、福山雅治…」
いや、頭では分かってるんです。でも、口が先に動いてしまう。
↑箸休めにターミネーターを。迫力あんなー。
良い影響
悪い影響ばっかり語ってきましたが、良い影響も勿論あります。良かったことはこれに尽きるでしょう。ずばり「生きがい」が出来たことです。
元大阪府知事の橋下徹氏は、人生を豊かにするには「燃焼する」ことが大事だとあるテレビ番組で言っていました。「燃焼する」ことは仕事でも趣味でも何でもいいのだと。
この「燃焼する」ことが、私にとっては「映画鑑賞」なのです。映画で燃焼するには、お金や健康的な生活基盤が必要になります。だから私は仕事をするし、法律やモラルを守るのです。
そんな橋下氏の言っていた「燃焼する」ことは、「生きがい」を手に入れる手段だと思ってだとます。自分で言うものなんですがこの「生きがい」を手にした人間の心は、なかなか強いです。なぜなら「生きがい」のない人間にとって現実は、辛く窮屈だと思っているからです。
昨今、世の中で起きていることは心が折れそうになる悲観的なことばかり。新型コロナの流行で滅茶苦茶。そんな中でも、権力や置かれた環境・立場を利用して私腹を肥やす連中は活動を止めず、格差はどんどん広がる一方。また格差といっても経済的格差のみならず、容姿や学歴によるものも存在。そのせいで勝手に基準を設けられ、努力や情熱が必ずしも報われない風潮が蔓延しています。ネットでは誹謗中傷やヘイトで溢れ、差別や偏見がなくなる気配はないし、自然破壊や温暖化が引き金となって起きる災害も相次ぎ、その度に多く人が不条理な死を迎えています。どこへ逃げても荒れ果てた現実を目の当たりにするこのご時世。絶望し、精神的に滅入るのも不思議ではありません。そんな不公平で汚い世界に揉みくちゃにされても、抗い続けられるのは「生きがい」があるからこそです。
世の中というマクロな視点で述べてきましたが、自分自身の日常にも辛いことや窮屈に感じることが次々と現れます。しかし挫けるはありません。例え追い込まれても「人生諦めらんねぇよ!」と奮起するエネルギーこそ「生きがい」です。私の場合は、映画を通して出会える最高な瞬間が待っていると思えば、全てのことが小さくて、くだらないと感じてしまいます。
このような精神的支柱にも繋っている「生きがい」を手に入れられた私は、ある意味幸せ者なのかもしれません。
まとめ
最初にユルいと言っておきながら、最後の方はアツくなっちゃいました。これも「燃焼」ですねw。
しかし何でこんなことを語ろうと思ったのでしょうか。自分でも謎です。今回の内容が数年後に見直して黒歴史になっていないことを切に祈ります。
それではこの辺でお開きです。ありがとうございました。
↑最後にウォーマシン。このガジェット感がたまらん。