キャプテン・シネマの奮闘記

映画についてを独断と偏見で語る超自己満足ブログです

第21回:映画で学ぼう Part1 情報発信の責任

さて、今回はどうしても言いたいことがあるので、そのことについて書きます。

まずは、このニュース。

www3.nhk.or.jp

「#検察庁法案改正に抗議します」で話題になった黒川元検事長。彼が外出自粛期間中に賭けマージャンを行っていたことが、文春砲によって暴かれ辞職に追い込まれました。賭けマージャンがいけない事については、賭博法がどうなっているのかなどの詳しいことが分からないので、正直“いけない事なんだね”と思うぐらい。それよりも私が問題だと思ったのが、そのマージャン相手が新聞記者だったということです。これでは、権力の監視ではなく権力と仲良くしちゃってますから、ジャーナリズムの意味がなされていません。

 

そして、もう一つ。

www.fnn.jp

恋愛リアリティー番組「テラスハウス」に出演していた一人が、SNSでの誹謗中傷によって自殺をしてしまった問題。誹謗中傷の主戦場となったTwitterで、手のひら返しのように“誹謗中傷は良くない!”と意見が飛び交うのは皮肉ですね…。

テラスハウス」ってまだやってましたか。数年前にかなり流行って、映画化していたことは知ってます。しかし、申し訳ないことに一度も見たことがないので内容については全く。ソープオペラ的なネタなんでしょうか?

内容はともかく、去年、韓国のアイドルグループKARAの元メンバーが自殺したこと全く同じような悲劇が日本でも発生してしてまいました。

www.nikkansports.com

ちなみに韓国では、こうした芸能人をSNS上で袋叩きにして自殺に追い込む現象を「指殺人」と呼ばれる社会問題になっているそうです。

これらのニュースを見て私は、情報を発信する送り手の「責任」が問われていると感じています。正直に言うと私は学生の頃、ジャーナリズムやメディア関係を少々かじっていたこともあり、前々から思ってはいたことではあります。よって、今回のようなことには黙っていられないので、勝手に一石投じます。

そうは言っても本ブログは、映画をテーマにしているので関連する映画を取り上げる形で意見を述べたいと思います。結構なネタバレを話すことになるのでご注意を。それにしても映画って便利。どんなテーマも扱ってますからね。

 

ディス/コネクト』(2012年公開)

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SNSの光と影(光は扱ってないか)を3つのエピソードから描いた群像劇。

3つの中でも特に印象深いのは、SNS上で嫌がらせにあった少年の話です。友人が少なく、常にヘッドフォンを付けて出歩く少年のもとに、ある女性から連絡が来ます。あなたのことが気になる的な内容で、少年の方も嬉しくなってSNS上でやり取りを繰り返すことになります。そんなある日、女性が性的な写真と共に「あなたも同じような写真送って欲しい」との内容を送ってきます。きな臭さ満載ですが案の定、少年は卑猥な姿をした自身の写真を送ってしまいます。実はこの女性とは、同じ高校に通うヤンキーがなりすましたものだったのです。たちまち画像は、ばら撒かれ学校中の晒しものになってしまったのです。

では、なぜヤンキーはこんな事をしたのか。理由は単純。道端で通り過ぎた時、ガン飛ばしてきたという思い込みだったのです。

倫理に欠ける惨たらしいことを、いとも簡単に出来てしまうのがSNSの側面。他の2つのエピソードも含め、誰とでも繋がれるということは、諸刃の剣であることを生々しく感じる作品となっています。

 

『リチャード・ジュエル』(2019年公開)

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日本では今年公開されていた作品になります。1996年のアトランタオリンピックで起きた爆破テロ事件を題材に、容疑者と疑われた爆弾の第1発見者である警備員(ポール・ウォルター・ハウザー)を描いたヒューマンドラマ。

この警備員は爆弾を発見した後、適切な判断を行ったことで被害の拡大を防いだ勇気ある人物です。しかし捜査を行うFBIは、爆弾の第1発見者であること。過去に真面目過ぎる性格のせいでトラブルを起こしていること。太っている外見と母親と二人暮らしの点より、社会に馴染めていないと推測出来ることなどを理由に、彼が犯人ではないかと捜査を進めることになります。そんな捜査状況を掴んだ新聞記者は、裏どり不十分な中スクープとして取り上げます。すると他の報道各社もたちまち「犯罪者」のレッテルを貼り付け過熱報道を慣行。メディアリンチと呼ばれる状況を生み出し、彼を追い詰めることとなるのです。

FBIの根拠の薄い捜査もどうかと思いますが、情報は犯罪者をも仕立て挙げてしまうほどの強いパワーを持っていることを感じることが出来ます。

当時はまだSNSのようなツールが発達していないので、一般人からの直接的な攻撃はそこまでなかったと推測出来ますが、現在だと報道各社の記者に加えて一般人から総攻撃されることでしょうから、地獄以外何物でもありませんね。

 

『スポット・ライト/世紀のスクープ』(2014年公開)

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アカデミー賞作品賞を取ったことでも有名な本作。アメリカの地方紙「TheBoston Globe」が神父たちの児童に対する性的暴行を隠蔽していたカトリック教会の実態を暴いた実話を基にした社会派ドラマ。

ボストンはカトリック教徒が多いため、この問題に踏み込むことは、どうやらタブー視されていたようです。しかし被害者の思いを晴らすため、そして未来の被害者を出さないために文字を武器に戦いを挑んだのです。本来メディアの発信する情報とは、こうした権力の監視と不正の摘発をすること。そして、個人を攻撃するのではなく、救いの手を差し伸べるものだと私は思っています。そんな情報発信者のあるべき姿が描かれているのです。

また、ちょっと話は逸れますが、テレビや新聞のニュースでは描き切れない人々の奮闘に、文字通り「スポットライト」を当てるのが映画の役割の一つだと考えています。取材シーンを中心に淡々と描かれているので、面白みに欠ける作品だと捉えてる方も多いのではないかと思われますが、存在価値の大きな作品であることは間違いないでしょう。

 

まとめ

以上3作品から、情報の力や情報発信の責任について言及してきました。

情報伝達のツールが、インターネットの発達によって進化し、誰もが情報発信が出来る時代となりました。これにより、クリエィティブな可能性が広がったことは確かな事実だと思います。しかし、残念ながらその技術進化に人々のリテラシーが追いついていないのは明らかです。「素人だし、別に自分の発信したちょっとした投稿なんて世の中に影響はないでしょ。」と考える人もいるでしょう。確かに気持ちは分かりますけど、この思考を持った人が多ければ多いほど「姿なき力」となって思わぬ災難をもたらすのです。

法律による厳罰化や教育をしっかりやれと言っても限界があるので、一人一人に責任があるということを認識し、メディアリテラシーを高めるための努力をすることが重要なのです。特にメディア機関はより一層力を入れなくてはいけません。メディア機関の場合は、改めて「権力の監視」というジャーナリズムが担う一つの役割の認識し直す必要がある重要な局面を迎えているのではないでしょうか。

 

偉そうなことばかりになってしまいました。すみません。私自身もいくら自己陶酔型のブログだとはいえ、意見や感想を発信する際の注意を怠らないようにします。

それでは、この辺でお開きです。ありがとうございました。

 

追伸:

どうやら、法による誹謗中傷の厳罰化が進んでいるようですね。また、芸能人が相次いで今後は法的措置を取ることを考慮すると発言しています。

私自身、こうしたムーブメント自体を否定するつもりはありません。しかし、厳罰化した法律を権力者たちが都合良く利用することで情報統制を行うことや批判に対する過剰な反応によって、言論の自由を抑圧する風潮にならないように、うまい落とし所を模索する必要があると思います。