キャプテン・シネマの奮闘記

映画についてを独断と偏見で語る超自己満足ブログです

第112回:映画『ナイル殺人事件』感想と考察

今回は現在公開中の映画『ナイル殺人事件』について語っていこうと思います。毎度のことながら、ややネタバレ注意です。

f:id:captaincinema:20220303183011j:image

 

イントロダクション

アガサ・クリスティの「ナイルに死す」を原作としたミステリー作品。2017年公開『オリエント急行殺人事件』の続編にあたります。ちなみに私は原作未読、かつ1978年版も2004年版も未見。『オリエント~』の時は原作読了状態でしたが、今回は真っ新で挑みました。

結婚祝いのハネムーンが行われていたナイル川を巡る豪華客船内で殺人事件が発生。知り合いの関係で船に乗り合わせていた名探偵エルキュール・ポアロ(ケネス・ブラナー)は、持ち前の洞察力を活かして捜査を始める。結婚を祝う為に集まった乗客それぞれに「愛」や「富」の関わるきな臭い疑惑が浮かび上がる中、更なる事件が発生する。

監督&主演を務めるのはケネス・ブラナー。出演作だと『TNENT/テネット』(2020年公開)が記憶に新しく、監督作だと賞レースを賑わす『ベルファスト』が日本で来月公開予定だったりと結構話題豊富な方。あっ『マイティ・ソー』(2011年公開)も監督してたっけか。

その他ガル・ガドット(2017年公開『ワンダー・ウーマン』)やレティ―シャ・ライト(2018年公開『ブラック・パンサー』)等出演していますが、注目は『君の名前で僕を呼んで』(2017年公開)や『ビリーブ/未来への大逆転』(2018年公開)のアーミー・ハマーが出ていること。SNSでの不適切発言や性的暴行疑惑によって出演の決まっていた作品を相次いで降板する事態になり、ほぼ干されたも同然な状況の俳優さん。本作が長らくの公開延期(正直存在忘れかけてたわ)にも関係しているとかいないとか。っていうか『ウエスト・サイド・ストーリー』の出演者に関してあれだけ騒いでいた方々はどこ吹く風か。こっちの方は非を認めてカウンセリング施設だかに入ってましたが、まさか知らないとは言わせませんよ…って喧嘩を売るのは良くないですね。まぁ私結構アーミー・ハマーは好きだったので、残念な気持ちがちらつきながら観てました。

 

サービス精神

今作は『オリエント~』の徹頭徹尾ミステリーだったのとは異なり、様々なジャンルの片鱗を見せるサービス精神旺盛な内容となっていました。

まず予想していなかった戦争描写で上映スタート。このシーンが名探偵ポアロ誕生の秘密になっているわけですが、始まった瞬間“あれっ?上映スクリーン間違ったか”と思いました。

その後の序盤はダンス&エジプトの観光地を巡る華やかな映像が展開。ピラミッド等の観光名所が明らかにCGだったのは残念でしたが、ダンスシーンは圧巻。情熱を通り越して熱狂的。あのシーンの時点で危険な香りムンムンなのが良かったです。

そして中盤あたりから本題のミステリーへ突入。ここからはおびただしい会話と積み重なる悲劇の連打でラストまで突っ走ってました。

というなんとも不思議な構図の作品。色々魅せてくれるのでお腹いっぱいにはなりましたが、肝心のミステリー要素がやや弱くなっている印象は受けました。まぁ面白かったから良いんですけど、次回作があるならどっぷりミステリーに浸れるものに仕上がっていて欲しいです。

 

まとめ

以上が私の見解です。

いや~色恋と金は人を醜くしますねぇ。どちらも程々が一番。まぁ私にはどっちもねぇけどさw。

それと、エンドクレジットの最後に「コダック」のロゴが。おぉ、つまりフィルムを使って撮影していたという事ですね。長回しやシンメトリーな映像も多いので、結構こだわって撮影しているのが分かります。配信スルーにならず映画館で観られて良かった。

ということでこの辺でお開きです。ありがとうございました。

第111回:映画『ロスバンド』感想と考察

今回は現在公開中の(とは言っても都内だと新宿シネマカリテでしか上映してなさそう)映画『ロスバンド』を語っていこうと思います。毎度のことながら、ややネタバレ注意です。

f:id:captaincinema:20220223173627j:image

イントロダクション

ノルウェー産青春ロードムービーノルウェーの映画は多分初めて観たかもしれませんね。

ドラムが趣味の主人公 グリムは、親友でギター兼ボーカル担当のアクセルと共にノルウェーのロック大会に出場するため練習に励む日々を送っていた。グリムはアクセルの音痴が気になっているも、真実を言い出すことが出来ないでいる。そんな中、念願の大会出場のチケットを手に入れるも、メンバーにベーシストがおらず開催地は遠く離れた街。ベーシストのオーディションにやって来たチェロ奏者の少女ティルダを仲間に加え「ロスバンド」を結成した彼らは、近所に住む名ドライバー マッティンが運転するバンで開催地を目指す。

やはりノルウェーの映画は初めてだった。監督さんも出演者の方も誰一人として存じていませんなんだ…。ということで、いつものように監督や役者についてを語れないですが、時には変に予備知識のない状態で作品に挑めるのもなかなか良いものです。ほら、“あの俳優=あの作品”みたいなのがあったりすると邪魔になる事がありますし。

 

やっぱロードムービー強し

はい、もう個人的には「ロードムービー」の時点勝ち確定案件なわけですが、客観的に観てもきっと多くの人が楽しめる作品だと思います。

まず旅をするメンバーがそれぞれ魅力的。一応喧嘩ばかりの両親にうんざりなドラム担当のグリム君が主人公ですが、他の3人も個性的で主人公として見ても成立していたと思います。ギターは上手いけどかなり音痴、でも自信たっぷりで好きな女の子を落とすことで頭が一杯なアクセル君。まさかのチェロで参戦、しかも結構な腕前のベース担当の女の子ティルダちゃん。そしてある秘密を抱えた意外と面倒見がいい運転担当のマッデン君。どのキャラにもバックグラウンド&葛藤があり、それがバランス良く描かれていたと思いました。

そして、道中で巡り合う人物の面白さこそロードムービーの醍醐味。本作でも、結婚式に送れそうな花嫁(結構ぶっ飛んだキャラ)や定年日を迎えたの警官(1993年公開『フォーリング・ダウン』のロバート・デュヴァルを思い出させるキャラ)、カラオケ大会をしているバーにいた態度のデカいおっさん(実はイイ奴)を始めとした人々と出会います。なんだろう。本作に限らずロードムービーのこうした様々な人との出会いと別れを繰り返しながら目的地に向かう様は、さながら人の一生の凝縮したかのようなんですよね。だからこそ好きなんだよなぁ~。

 

まとめ

以上が私の見解です。

北欧の大自然も良しな爽やかな笑いと感動に包まる良作。もう少し上映してる映画館が増えても良いんじゃないかな?色んな人の目に触れないと勿体無い気がします。

それと観ていて思ったのが邦画でロードムービーってあんまりないですよね。そういった文化があまり定着してないから?いや、小説だと沢木耕太郎の『深夜特急』(舞台は海外だけど)や羽田圭介の『走ル』があったりするんですけど。あっでも今話題の『ドライブ・マイ・カー』にロードムービー要素がありましたね。ザ・ロードムービーって感じの作品は無いけど、要素を含んだ作品は意外とあったりするのか。う~ん、まだまだ修業が足りぬの。

ということでこの辺でお開きです。ありがとうございました。

 

第110回:映画『ウエスト・サイド・ストーリー』感想と考察

今回は現在公開中の『ウエスト・サイド・ストーリー』を語っていこうと思います。毎度のことながら、ややネタバレ注意です。

 

f:id:captaincinema:20220213180635j:image

↑しゃれたポスターね

イントロダクション

1961年にも映画化されたブロードウェイミュージカル「ウエストサイド物語」をスティーブン・スピルバーグ監督がリメイクした作品。

舞台は1950年代のニューヨーク。街の再開発が進むウエストサイドには貧困層の移民が取り残された状態。移民系の若者たちは同胞同士で徒党を組んでいがみ合っており、ポーランド系の「ジェッツ」とプエルトリコ系の「シャークス」は暴力をも辞さない抗争ぶりだった。そんな中、「ジェッツ」の元リーダーであるトニー(アンセル・エルゴート)と「シャークス」のリーダーの妹マリア(レイチェル・ゼクラー)が恋に落ちる。その恋は対立する2つのグループの運命をも狂わせる事になっていく。

トニーを演じるアンセル・エルゴート。一昨年あたりに性的暴行の告発を受けており、未だ疑惑が晴れていない状況の俳優さんです。本作の出演者の多くが中立的なコメントを発表しており、早々にクリアにしないといけない問題かと思います。そうじゃないと『ベイビー・ドライバー』(2017年公開)の続編が動かないっすよ。続編を待ってる身としては、どうなることやらって感じです。

マリアを演じるレイチェル・ゼクラーは3万人のオーディションから選ばれたらしい新星。映画出演は初らしくYouTubeの歌唱動画で有名だったみたいです。なんだかイマドキですね。今後ちょいちょいお見かけする事になるでしょう。

 

さすがのスピルバーグ

さすが映画史に名を馳せる巨匠が手掛けただけはある完成度の高さです。

まずダンスシーンがどれも面白い。カメラワークや人の動かし方、今風に言うと「人流」のコントロールの上手さに感服です。とくに体育館でのダンスパーティーシーンは圧巻。軍隊かよってレベルの流麗なフォーメーション。ポーランド系は寒色、プエルトリコ系は暖色の衣装を着ている点も興味深かったです。

また暴力は暴力として描いた点も好感を持てました。例えば終盤の決闘シーンの場合、61年版はダンスシーンで表現をされていました。しかし今作においては、鉄パイプや鎖を拳に巻いたりなんてした装備でガチの殴り合い。短いながらも本格的なナイフファイトまで登場します。スピルバーグ監督って「暴力」を生々しく描くのが得意な人だと思ってまして(その力が最大限発揮されたのが1998年公開『プライベート・ライアン』でしょう)、暴力を決して美化しないという点は一つのブラッシュアップポイントだったのかなと思います。

 

やっぱり咀嚼出来ないストーリー

このように様々な点で「ブラッシュアップ」が試みられてる意欲作になっています。特に、リメイクした意義が様々なメディアで取り上げられ社会派路線のニュアンスを呈している通り、キャスティングのブラッシュアップには相当注力したようです。(だからこそアンセル・エルゴートの件が看過できない状況なんですよね)

しかし一点“あれっ?ここはブラッシュアップしてないの?”と思った点が個人的にありました。それがストーリー。ここだけはそのまま忠実に再現をしているように見えました。このストーリー、私からすると「皆さん、ちょっと冷静になれよ」と言いたくなります。“一目惚れでそんなに愛し合えるか?”とか“血の繋がった家族をあんなにした相手とその行為はいくら何でもないでしょ?”など常に頭の中が疑問符で充満するので、現代の価値観での咀嚼が苦しい気がします。その為こう言っちゃなんですが、素晴らしい歌とダンスで誤魔化しているだけで、人間ドラマの複雑味はほぼ皆無に感じました。あっ俺の心が腐ってるから理解出来ないのか?wだとしても、スピルバーグには61年版を観た時も感じたこの歯痒い気持ちを晴らして欲しかったなぁ~。

 

まとめ

以上が私の見解です。

ちょいと否定的な事を書いちゃいましたが、視覚的には楽しいので映画館で観る価値は充満にあると思います。

あっちなみにミュージカル映画でまさかの銃の話が登場するんですよ。中盤ぐらいに「ジェッツ」のお頭が銃を入手するシーン。“コルトは使ったことあるぞ”とか口径がどうのとか。で、手に入れるのはS&WのM10というね。いや~ニヤニヤが止まらんかった。こんな気持ち悪い見方をしていたのは、あの場内できっと私だけだったしょうね。

ということでこの辺でお開きです。ありがとうございました。

※余談

本作の予告だったかに「スピルバーグ史上最高傑作!」なんて売り文句を見かけたんですけど、ちょっと待ちなさい!スピルバーグ監督の傑作については議論の余地があります。とにかく世界のカルチャーに影響を与えた作品が多くある監督なので、少なくとも本作ではないんじゃないかと思いますね。

そんな私が思うに最高傑作は『ジョーズ』(1975年公開)か『ジュラシック・パーク』(1993年公開)ではないでしょうか?『ジョーズ』はA級からB級まで量産され続けるサメ映画の元祖みたいな存在と同時にある種のディザスタームービーのフォーマット的作品だとも思います。また『ジュラシック・パーク』は今尚続く人気シリーズですし、詳しい事は忘れましたがCGの技術をワンランク上へ持っていった作品であるって話も聞きた事があります。この2つは越えられない気がするな。まぁ広告の売り文句なんかにガチになるのもバカバカしいかw。

第109回:映画『デモニック』感想と考察

今回は現在公開中の…いやもう終了してるかな。ヒューマントラストシネマ渋谷の「未体験ゾーンの映画たち2022」で1週間限定ぐらいで公開されていた映画『デモニック』を語っていこうと思います。毎度のことながら、ややネタバレ注意です。

 

f:id:captaincinema:20220207175346j:image

↑いや~おしゃれなデザイン。

イントロダクション

夢と現実とVR(仮想空間)が交錯する異色のSFホラー。

母の危篤を知った主人公。働いていた老人ホームを放火して大量殺人を犯した母とは絶縁状態であった。なぜ凄惨な事件を起こしたのか?医療施設から、母の意識へとつながる仮想空間に入って原因を探ぐって欲しいと打診を受けた主人公は仮想空間上で母と再開するも、そこで邪悪な“何か”が母を蝕んでいた。

監督はニール・ブロムカンプ。私この監督の作品、結構好きなんですよ。『第9地区』(2009年公開)『エリジウム』(2013年公開)『チャッピー』(2015年公開)といったい長編作品。それと『Rakka』(2017年公開)等の短編作品も含め、真心こもったグロ描写と唯一無二なテイストのSF映画を連発しています。そんな監督の久々の新作、待ってました!『第9地区』の続編の話が進んでくれる事を祈りつつ、やっぱりどうにかして『エイリアン』のスピンオフは撮って欲しいよなぁと思ってます。

キャストは、う~ん。知らん人しか居ないぞ。ブロムカンプ作品の常連であるシャールト・コプリーはどっかに出てるんじゃないかと探しましたが居なかったですね。

 

ブロムカンプ作品のビジュアルの良さ

なんで私がブロムカンプ作品が好きかと言いますとズバリそのビジュアルの良さ。今作でもそのビジュアルの良さは発揮されています。

まず、今作のポイントの一つである夢と現実とVRの描き方。「VR」を扱った映画と言えば、2018年公開の『レディー・プレイヤー1』が思い付きますが、こちらの作品の方がより機械仕掛け感があります。ノイズやバグっぽい動き。さらに3人称視点の映像も挟まるので、現実との境界線は分かりやすく表現されています。一方で主人公の見る夢のシーンも度々登場しますが、こちらは定番の現実との境界線が分かりづらいアプローチ方法が取られています。この変幻自在っぷりがなかなか面白かったと思います。

それと一番テンションあがったのが、バチカンが秘密裏に結成したという特殊部隊ですよ。既に厨二病感全開な設定の時点で心ときめきますが、あんなガチ武装エクソシストなんてちょっと見たことなかったです。全身十字架やらの入れ墨まみれの屈強な男たちだし、銃やコンパウンドボウで対抗するのかい!一歩間違えたらテロリスみたいな方々、萌えるわ~。

まとめ

以上が私の見解です。

なぜもっと大規模に上映されないんすか?面白いのに。大阪の方のシネ・リブール梅田ではこれらから公開っぽいので、そちらの方は観るチャンスがあるのかな。

ただ予算が少なったんだろうというのはひしひしと感じました。本来ならきっとあったであろう盛り上がりのシーンがことごとくカットでしたし、いつものゴア描写もかなり控えめだった印象です。私みたいなブロムカンプ狂いの人間じゃなきゃ「安っぽい!」って見立てをしちゃうんでしょう。もっと出資てあげてよ~!

ということでこの辺でお開きです。ありがとうございました。

第108回:映画『大怪獣のあとしまつ』感想と考察 ※映画館へ愛を込めてPart8も添えて

今回は現在公開中の『大怪獣のあとしまつ』を扱っていこうと思います。いやね、鑑賞直後にTwitterに名指しを避けて、極力オブラートに包んだ表現の我ながら良心的なコメントを書き込みましたが、翌日になっても沸々と煮えたぎる不満が解消されず。それに映画館での体験としてちょっと面白い現象もあったので、これは長文で発散させなければならないと思い立った次第です。毎度のことながら、ややネタバレ注意。それと今回に関しては非常に辛辣な内容が想定されます。お好きだった方やこれからご覧になられる予定の方はどうぞお引き取りを。

f:id:captaincinema:20220206211926j:image

 

イントロダクション

日本の映画界におけるお家芸の一つであろう怪獣映画。その怪獣映画を斬新な切り口で描いたSF作品。

人類を脅かしていた超巨大怪獣が突然死亡する。世界が安堵に包まれる中、残された死体は腐敗が進んでおり腐敗による爆発で一大事を招いてしまう可能性があった。それを考慮し死体処理を国から託されたのは、軍でも警察でもない怪獣退治の特殊組織である特務隊員たちだった。

監督は三木聡。私この方全然存じていませんでしたし、過去の映画作品も観たことがありませんでした。ただ調べてみると放送作家時代になんと『トリビアの泉』を手掛けていたらしいじゃないですか。あの番組はフジテレビの全盛期を感じさせる伝説ですよね。大好きだったなぁ~。

キャスト陣はまぁー大層なメンバーが揃ってます。東映と松竹がタッグを組んだだけはある豪華さ。ただこれからボコボコにするつもりの作品なので、具体的な名前を出すのは可哀想な気がしたので止めておきます。俺、優しいわ~w。

 

面白いのは設定だけ

鑑賞前はですね、結構期待してました。だってデカい怪獣の死体処理ですよ。例えばゴジラシリーズの場合、三原山の噴火口や日本海溝なんかにゴジラを落とす事で撃退と後始末を兼ねるオチがあったりしましたが、陸上に死体が残った場合どうすれば良いのかを描いた作品は今まで無かったと思います。これは斬新なアイディア。

また劇中には、徴兵制や計画停電、怪獣に特化した警報システムなど人々の生活環境が変化している点や怪獣の死体は文化的価値からインバウンドが見込めるぞみたいな話があったりと“確かにありえるかも”と思わせる設定がチラッとポツポツ登場するのもアイディアとして面白かったです。怪獣の造形も良き。

ただしです。これらの素材は良いのに、残念ながら素材を何一つ活かし切れていない結果になっていたと思いました。辻褄の合わない&お粗末なオチのストーリー、コミカルとシリアスのバランスの悪さ、安っぽいCGとダサいスローモーションが連発する映像、子供が好みそうなレベルの低いギャグセンス、「会話」というより「台本」感満載の台詞によって大根に見える俳優陣。映画における大事な要素が全て赤点だったと思います。観客に対して「挑戦的な作品」と表現すれば聞こえは良いですが、いや全面戦争上等な「挑発する作品」の方が正しいかと。どうしてこうなっちゃったんでしょうねぇ…。

 

映画館での共有体験として(映画館へ愛を込めて)

はい、いつも以上に偉そうな事を述べています。しかし批判をしたくなる気持ちが湧いたのは私だけではないはず。少なくとも私の鑑賞した劇場内は異様な雰囲気を放っていたのでその辺りのお話をしましょう。

本作は私、渋谷で観ましたがそもそもの観客の少なさに衝撃。恐らく15~20人程度。えっ封切りから初の週末だよ。しかも某アイドルグループのメンバーが主役なのに?やっぱりオリンピックの影響かとも思いましたが、初っ端の金曜からSNS上にはネガティブな意見が飛び交っていたようなので敬遠している人もいるのかなと。

上映開始間もなく本作がよく分からないコメディであると認識したあたりから場内に漏れる失笑の声。下ネタは災害級のダダ滑り。オヤジギャグに対して「サムっ!」からの風が吹く表現を体現した居心地の悪い空気に包まれていました。そして終了後の疲れ果ててオロオロ退散する皆さんと「こんな映画を観れて逆に光栄」と声を大にして盛り上がる男子軍団。これは事件です。逆の意味で不思議な連帯感が生まれた劇場体験は初めてでした。

そして一番感動したのが、帰りのエレベーターで聞こえてきた「マジク○映画。(某アイドルグループのメンバー)は悪くないけど、途中で携帯開いちゃったよ」の女子高生たちの会話。あぁ…なるほど。私も終盤からは“お腹空いたなぁ。次の映画まで1時間あるからどっかでパン食べよ。何処か良いか…”なんて考え事しながら観てましたから。まさか上映中に携帯を開く人の心理が理解出来てしまう日が来るとは。皮肉。

 

まとめ

以上、私個人の始末書的見解です。

まぁそうですね。元々邦画のコメディ大作は苦手な人間なので刺さらなかったのかも。それに、中学生ぐらいの子たちが友達と観に行って「映画って面白いねぇ!」と語り合う映画館への入り口としては意義があるかなと思います。中学生舐めすぎかな?

はい、もう疲れたのでお開きです。ありがとうございました。

第107回:映画『さがす』感想と考察

今回は現在公開中の映画『さがす』を語っていこうと思います。毎度のことながら、ややネタバ…いや、今回は少し核心を付いた話をする事になりそうですし、前情報がない方が明らかに良い作品なので、ご覧になる予定の方はイントロダクションだけ読んでどうぞお引き取りを。

f:id:captaincinema:20220203210140j:image

 

イントロダクション

姿を消した父とその父を探す娘を描いたサスペンス。サスペンスと書きましたが、家族ドラマでもありサイコスリラーでもあります。

大阪の下町に暮らす原田智(佐藤二郎)は中学生の娘 楓(伊藤蒼)に「指名手配中の連続殺人犯を見かけた。捕まえたら懸賞金300万だ」と話した後、忽然と姿を消す。警察にはまともに取り合ってもらえず、自力で探し出そうとする楓。そんな中、日雇い現場の作業員に同姓同名を発見する。しかしその人物は父の姿とはまるで違い、父が話していた連続殺人犯と似た男(清水尋也)だった。

監督は片山慎三。2018年公開の『岬の兄妹』で注目を浴びた監督。ポン・ジュノ作品の助監督を務めた経歴もあるので、筋金入りの鬼才といったところでしょう。

主演の佐藤二朗ですけど、私には縁のないコメディ作品や「クイズ99人の壁!」と言ってるイメージが強かったので、シリアスな作品にも出てんだなと思いました。そういえば昔、街でお見かけしたことあるなぁ。いやあれは単に似てる人だったのか…。著名人って見かけもロケとかじゃない限り確信が持てないんですよ。

それと清水尋也ってあれですよね。KingGnuの「The hole」のミュージックビデオに出てる方ですよね!いや~あのMV、KingGnuのMVの中でも珍しいストーリー仕立ての泣けるやつです。

 

社会の闇はすぐ側に

本作は2017年に座間市で起きた連続殺人事件がベースになっているのは間違いなさそうですが、個人的には2019年に起きた医師による嘱託殺人の事件も思い出しました(ASLが関連してましたし)。どちらの事件も共に死を望んだ人を殺害したことが共通項であり、発生当時は世間で物議を醸したことを覚えている人も多いと思います。

そう、これだけ個人や自由意志を尊重しようとする風潮の社会であっても「死」を自由なタイミングで選択することはタブー視されているのが実状といったところ。そんな正解を導き出すのが困難なテーマが徹底したドライな視点で描かれていました。様々な理由から死にたいと思う人と快楽的欲望や金銭目的を持つ人とで利益が一致してしまう社会の闇はすぐ側にあるかもしれないと思うと心底ゾッとさせられます。

社会派な片鱗を覗かせつつつシリアスなエンタメとして昇華する。これって韓国ノワール作品で観るやつですね。ゆえに本作は韓国風サスペンス邦画でしょうか。勝手に変なジャンル定義しちゃいましたが、これは日本映画においては結構新しいアプローチの仕方なんじゃないかと思いました。

 

まとめ

以上が私の見解です。

時系列を巧みにばらして語られる先の読めないストーリー、暗くざらついた質感の映像、役者さんたち各々の見事なパフォーマンスと見どころは盛りだくさん。予想を遥かに超えた心えぐられる衝撃的傑作でした。

それと序盤の走ってるシーン。足で逃げる青年VSチャリで追いかける女子中学生の構図は新鮮でしたね。大阪に残る下町、というか都市開発に乗り遅れたようなしみったれた裏路地を爆走する様はマジで興奮。あぁ「走ってるシーン」に関してはもはや私の性癖だなw

あっシーンで言えば、卓球のラリーシーンも驚きでした。経験者同士じゃなきゃあんなに長いことラリーは続かないですよね。私なら3周目辺りでダメにしそう。相当練習したんだろうなぁ。

ということでこの辺でお開きです。ありがとうございました。

第106回:映画『Coda/あいのうた』感想と考察

今回は現在公開中の『Coda(コーダ)/あいのうた』を語っていこうと思います。毎度のことながら、ややネタバレ注意です。

f:id:captaincinema:20220124231546j:image

 

イントロダクション

Coda(コーダ)とは耳の聴こえない親を持つ耳が聴こえる子供のこと。恥ずかしながら私、初めて知りました。こうした事を学べるのも映画の側面ですね。

舞台は小さな海の街。聾唖者である両親と兄を持ち家族の中で唯一耳が聞こえる主人公の高校生 ルビー(エミリア・ジョーンズ)。幼い頃から家族の“通訳係”となり、家業の漁も毎日手伝っていた。そんな中、学校の合唱クラブに入部したところ歌声の才能が開花。顧問の教師から音楽大学への進学を勧められ、家族との両立に悩むことになる。

本作はサンダンス映画祭でグランプリを始めとした4冠を達成している映画。サンダンスですよ。『フルートベール駅で』(2013年公開)や『セッション』(2014年公開)などを世に知らしめた映画祭です。今じゃライアン・クーグラーデイミアン・チャゼルも映画界を代表する監督ですから、今作を監督したシアン・ヘダーもその仲間入りは確実でしょう。

主演はエミリア・ジョーンズ。私、この方はお初にお目にかかりますな気がしていましたが、『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命体の泉』(2011年公開)に出演しているようなので観てはいるはずなんですね。いやー分からん。非常に伸びのある歌声をしているので、歌手が本業の人だと思って劇中観てました。

 

「思いやり」は一方的ではいけない

ハンディキャップを抱えた人物やマイノリティと呼ばれる人たちが登場する作品を観る際、個人的に一番気にする点がありまして。それが如何にフランクな視点であるかという事です。「辛い思いをしているので労わってあげましょう」みたいなメッセージが前面的に押し出された作品だと、どうも説教臭さを感じてモヤモヤします。もちろん特有の苦労が描かれるのは当然だと思いますが、そもそも「配慮し過ぎる」ということ自体がフィルターを挟んで接している感じがして好きじゃないです。同じ「人間」なんだし同じように扱えよなって話。

その点本作は、耳の聞こえない側と聞こえる側どちらの葛藤も描かれており、どちらか一方の視点に偏り過ぎることがなかったので好感が持てました。例えばルビーが音楽学校へ進学したい意志を告げた際、歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられずに反対。自分たちの通訳をしてくれる存在が居ないと家業が続かない理由も重なります。そんな、頼り頼られといった家族だからこそ起こり得る普遍的な関係性にフォーカスされていてました。

また作品全体を通して、聞こえる側と聞こえない側それぞれの理解や思いやりが感じ取れて感動的でした。思いやりが一方的ではコミュニケーションを取ることは出来ないんですよね。

さて、これで言いたい事伝わるか?自分でも書いてて上手くまとまっていない気が。何考えてんだコイツと思った方は本作&『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』(2019年公開)を観てもらうと分かるかも。

 

手話の表現力

それともう1つこの映画で感動したのが手話の表現力。こんなにも表現力のある言語だとは思いませんでした。コミカルさもエモーショナルさも感じられるし、時に口に出す言葉以上に表情豊かに見える瞬間があるから物凄いのなんの。

また、いざ手話と向き合ってみると気付きもありました。手話は手だけなく顔や体の様々な部位を動かしてコミュニケーションを取っている事が分かります。昨今のコロナ禍において、TVを観ていると手話通訳の人は口元の見える透明なマスクやフェイスシールドを着けていますが、なるほど。「手」と同じぐらい「口元」も重要なんだと。

このような感動と学びを与えてくれた最たる理由は、やはり耳の聞こえない役は実際に聴覚障害のある俳優さんたちが演じられていたからでしょう。ホントに素晴らしかった。健聴者の俳優が演じるのとでは明らかに説得力が違いました。

こうした聾唖者の役には聾唖者の人が演じることのみならず、アジア人役はアジア人が演じる等の役柄に沿ったキャスティングをする事で多様性や平等を打ち出すような作品が近年増えてきました。しかしそんな社会的意義が云々以前に、実際の経験や境遇があるからこそ表現出来るものがあり、それは観客の心を動かすパワーがあるからだとつくづく思いました。

 

まとめ

以上が私の見解です。

もうね、久々にボロ泣きでした。後半のコンサートのシーンから目頭が烈火の如くヒートアップ。その後の1つ1つシーンはどれも愛おしくて鳥肌が止まらず。特に夜空を見ながらお父さんと二人で語るシーンは、思い出すだけで胸に込み上げてくるものがあります。既に今年のナンバーワン作品で確定な気がしている大傑作でした。あとパンフレットは必読かと。読みながらまた目頭が熱くなるという現象に見舞われましたので。

ちなみにラストの指の形。私もマネしようと思ったのですが…んっ?あれっ上手く出来ねぇ。指の節々に柔軟性がないこと忘れてた。不器用なんですね、わたし…。

ということでこの辺でお開きです。ありがとうございました。