キャプテン・シネマの奮闘記

映画についてを独断と偏見で語る超自己満足ブログです

第201回:映画『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』感想と考察

今回は現在公開中の映画『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』について語っていこうと思います。毎度のことながら、ややネタバレ注意です。

f:id:captaincinema:20231026192130j:image

↑顔・圧

イントロダクション

同名実録小説を基にしたサスペンス。AppleTVで製作との事だったので、まさか映画館で公開しないのではと不安視してたのですが、無事公開されて良かった良かった。

舞台は1920年アメリオクラホマ州オーセージ郡。そこは元々居た地域を白人の移民に追われ、辿り着いた先で石油を採掘した事で莫大な富を築いた先住民 オーセージ族が住んでいた。そんな土地に叔父を頼って仕事を探しに来た帰還兵のアーネスト(レオナルド・ディカプリオ)。しかしその叔父であるウィリアム・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)は、オーセージ族の富に目を付け巧みに操り、脅迫や殺人にまで手を染めていた。

監督はマーティン・スコセッシ。まぁ言わずもがな映画界を代表するレジェンド監督。『タクシードライバー』(1976年公開)や『グッドフェローズ』(1990年公開)がどれだけ多くの作品に影響を与えているかは計り知れませんね。個人的には『ケープ・フィアー』(1991年公開)と『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2012年公開)好きです。いや『キング・オブ・コメディ』(1982年公開)も捨て難いし、地味に『ヒューゴの不思議な発明』(2011年公開)も良いよなぁ…。

主演はレオナルド・ディカプリオ。先述『ウルフ・オブ~』や『ディパーテッド』(2006年公開)など多くのスコセッシ作品で主演を務めてきています。そこに共演するのがロバート・デ・ニーロ。こちらも多くのスコセッシ作品で主演を務めています(多いので作品名は割愛!)。要するにスコセッシ映画の2大看板が共演って事です。ついに来たかって感じ。ラーメン・餃子セットのようなハイカロリーさです。その他、ジェシー・プレモンス(2008~2013年「ブレイキング・バッド」シリーズ)やブレンダン・フレイザー(2022年公開『ザ・ホエール』)も出演。輪を掛けてカロリーが高いメンツ。

全ては「金」のためなアメリ

今作サスペンスではありますが、同時にアメリカの歴史にも迫った作品。その意味では恐らく原作では詳しく書かれているであろう経済的な仕組みや民族的関係性の予備知識があった方が理解は深まりそう。ですが基本的には莫大な財力を持つ原住民オセージ族の家系に入り込み「パラサイト」する白人男たちが描かれます。金のためなら何でもする白人たちの姿は拝金主義ってこうやって生まれるんだろうなと思えます(これは『ウルフ・オブ~』との共通点かな)。

そんな金の亡者の権化が“キング”ことウィリアム・ヘイルさん(自分から“キング”と呼べって言うのがもうヤバイっしょ)。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007年公開)のデイ・ルイスとはちょっと似ているようで違ったオイルマネーの恩恵に取り憑かれた狂人をデニーロが静かな狂気で演じています。そんな狂人に振り回されてあくせくするのがディカプー。最初は将来に希望を持っているのか意気揚々、とりあえず盛り上がりに便乗する元気さがあるディカプーでしたが、徐々に苦虫噛みつぶしたよいな顔ばかりに。可哀想…では決してないんですよね。自分じゃなんの行動も決断も出来ない軽薄なお金好き。登場人物のほとんどに好感が持てないのはスコセッシ作品らしいですし、家庭と金の板挟みに苦悩する様は『カジノ』(1995年公開)を思い出させます。

という感じで面白かったのですが、スコセッシ作品群の中ではそこまでオススメはしないかもです。中盤は中だるんだようにも思いましたし (その流れはジェシー・プレモンスが変える!)、オーセージ族の文化や歴史にとりわけ感心がなければ先述『カジノ』を観た方が楽しいと思いました。

まとめ

以上が私の見解です。

最後なんだ?w あの劇みたいなのって何て言うんでしょうかね。実録演劇的な?いや無声映画だった頃の上映スタイルかぁ?ちょっと不勉強なもんで分からなかったのですが、急に観客にベクトルを向けてくる感じは『グッドフェローズ』のラストでレイ・リオッタが観客に話かけて来るの思い出しました。クセつえー。

という事でこの辺でお開きです。ありがとうございました。

※余談

最後にやっぱりこの話は触れて置こうと思います。それがスコセッシ監督の「MCUは映画じゃない」発言。

事の発端は2019年に映画雑誌のインタビューで「アベンジャーズ」をはじめとするマーベル映画(MCU)についての意見を聞かれた際、「あれは映画ではない。テーマパークに近いもの」と発言。ネット上では物議を醸し、賛同する監督たちや反発するマーベル作品の関係者たちも登場しました。そして今年に入り再びアメコミ関連のエンタメ産業に関して、「それ(アメコミ映画)が我々の映画文化に及ぼす影響が危険。『映画』をああいうものでしかないと考える世代がこれから出てくるからだ」と発言し再熱という事になりました。

一見アメコミ映画に対する反感に見えますが、実は違うんですよね。どんな映画が作られても良いとした上で、大企業が産業的に製作したフランチャイズ作品が映画だと思えないという事を言っているのです。確かに思えば近年、コミック原作の漫画映画や名作/人気作のリメイク、リブート、スピンオフ、〇〇年ぶりの続編 みたいなものばかり。勿論そんな中にも画期的な作品が生まれるケースはありますが、ただの「消費」で終わってしまう作品がほとんどでしょう。観たはずなのに何も残らないやつ。

この話ってハリウッドのみならず日本の映画産業にだって言える事です。「画一化」した作品ばかりが溢れ、それがもてはやされるのは映画産業自体の衰退を意味するのではないでしょうか?作品自体の多様性も考えなくてはいけません。 ”もっとチャレンジングでオリジナリティある作品があって良いじゃないか!そういう作品を皆で作って皆で観ていこうぜ!”という映画への希望ってのがスコセッシ監督の思いではないかと邪推しています。

そして画一化した“売れそう”な作品が氾濫している状況を感じ取っている人も居るのでしょう。本国アメリカでの『キラーズ~』の売り上げは非常に好調なようで、公開初日の夜に鑑賞した客のうち46%が35歳以下の若者だったそう。きっとスコセッシ監督がいう「映画」にある興奮や感動を求めて観に行っているのかもしれませんね。

参考:

マーティン・スコセッシ監督、アメコミ映画が席巻する映画界に再び懸念! 「全方面から反撃しなければ…」 産業的につくられたコンテンツが映画文化を支配する恐れ指摘 - tvgroove

スコセッシ最新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』週末3日間興行収入で世界1位、観客には若者も多数 | cinemacafe.net