キャプテン・シネマの奮闘記

映画についてを独断と偏見で語る超自己満足ブログです

第197回:映画『PIGGY ピギー』感想と考察

今回は現在公開中の映画『PIGGY ピギー』を語っていこうと思います。毎度のことながら、ややネタバレ注意です。

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イントロダクション

「殺すか、見殺しか。」のセンセーショナルな決断を迫られる少女を描いたスペイン産ホラー。

スペインの田舎町で暮らす肉屋の娘のサラ(ラウラ・ガラン)は、体型を理由にクラスメイトからいじめを受けていた。ある日、1人で地元のプールへ出かけた彼女はいじめっ子たちに遭遇。罵詈雑言に暴力、着替えの入った荷物を取られるといった執拗な仕打ちに合う。しかしその帰り道、サラは血まみれになったいじめっ子たちがその時プールいた謎の男に車で拉致されるところを目撃する。見殺しか、警察へ通報するか、究極の選択を迫られる。

監督はカルロタ・ペレダ。スペインでは名高いゴヤ賞を受賞した2018年制作の短編映画「Cerdita」を自ら長編映画化したのが本作だそう。その短編が観てみたいぞ。海外の短編映画ってあんまりサブスクやTSUTAYAに置いているイメージがなくて、なかなかお目にかかれないんすよね。どうにかなんねーかな。欲張りか。

いじめをどう裁く?

まずこの映画の着眼点の良さですよ。自分を苦しめる加害者が転じて被害者となっている姿を目撃したらどうするのか?という非常にセンセーショナルなテーマ。とりわけ「いじめ」という世界共通の社会問題なわけですから。

現代社会において「いじめ」の処遇を見てみると、フランスの場合は懲役及び罰金刑とかなり重く捉えていますし、アメリカでも州ごとに差があれど刑事罰になる可能性があるようです。また韓国ではいじめを行った事が確認されると、履歴として残り進学や就職に影響が出るんだとか。一方、日本には「いじめ防止対策推進法」がありますが、学校側の対処方法がメインであり、いじめを行った当事者への罰則は明記されていません。メディアや世間的にも学校側の責任がフォーカスされがちですが、これにはつくづく疑問を持っています。それは教育の現場ですから責任が問われて当然ですが、やはり当事者側に正当な罰が下っていないのがおかしいと思うのです。子供だからと甘やかす大人たちは愚かでは?やった側の将来なんて知りませんよ、やられた側は一生忘れませんから。

こうした感情は本作の主人公、そしていじめっ子たちをボコして攫った犯人も持っていたのではと思えます。とくに犯人の男に関しては直接いじめを受けていたような描写はありませんが、恐らく過去被害者だったのでしょう。体型が太っている事からも主人公と同じような理由で屈辱を受け、片足を引き摺るような歩き方はいじめによって受けたダメージの可能性だってあり得そうです。だからいじめを行う者は容赦なく犯行のターゲットにする。さながらいじめに裁きを下すビジランテです。

しかしそれは本当に正しい行為なのか?一見勧善懲悪にも見えますが、暴力で相手を黙らせるという事はいじめを行う人間と同じレベルに落ちてしまう事ではないでしょうか。先程も書いた通りいじめた側の将来なんて知りません。どうとでも成ればよろしい。しかし自分で自分を彼らと同じ人間性に貶めてしまうのはどうかと。

そんな葛藤を乗り越えある決断を下す主人公。ラストの佇まいのなんて凛々しいこと(ちょっと1974年の『悪魔のいけにえ』っぽさがある)。“もうブタとは呼ばせない”という彼女が人として強く成長する物語でもあるのです。これは傑作。

まとめ

以上が私の見解です。

ちょっとアツくなりました。私もねぇ、色々とありましたからねぇ…。

まぁそれはどうでも良くて、青春映画としても見応えある作品です。いじめ以外にも高圧的な母親と無関心な父親という家族構成にご近所付き合いのギスギス感にも苛まれる地獄ような中、誰にも分かって貰えないモヤモヤを抱える思春期の女性も非常に上手く表現されていました。周りがあんなだから相手が誰であろうと、間接的に苦しい状況を除去してくれたり、お菓子やタオルを恵んでくれたらそりゃそうなるわなw

という事でこの辺でお開きです。ありがとうございました。