キャプテン・シネマの奮闘記

映画についてを独断と偏見で語る超自己満足ブログです

第91回:「読書」について色々語る

今週のお題「読書の秋」

おっ、良いお題。という訳で映画の事しか書いていない本ブログ初の映画じゃないテーマを書いてみようと思います。

私が映画館以外に定期的に出没する場所と言えば図書館。書店で時間を潰すこともしばしばな人間です。専ら読むのは小説と映画雑誌のみ。漫画やビジネス本などとは無縁ではありますが、結構本が好きな人間なんです。そんな私が「読書」について諸々語ってみようと思います。

 

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↑何となく秋っぽい写真を

 

好きな作家について

私には好んで読む作家が二人居ます。

まずは伊坂幸太郎。文章のテンポが良いので読みやすく、クセのある登場人物や時に作品をもまたぐ伏線も魅力的な作家さんです。

好きなったきっかけは、首相暗殺の濡れ衣を着せられた男の逃亡劇を描いた『ゴールデンスランバー』。小学生か中学生だったかは忘れましたが、読書感想文の課題として読んだのが最初だったと思います。最初は面倒に感じてたんでしょうけど、面白かったので苦には感じていなかったはずです(元々文章書くのを苦に感じないとこはあるが)。こうした出会いを経験しているので、一時期話題になっていた読書感想文の必要不要論においては必要派。役に立つかどうかや文章どうのこうの範疇ではなく、面白い本や好きな作家に出会う入り口としてあるべきだと思います。

つい最近では『チルドレン』を読みましたね。5本の短編で形成された作品なのですが、それぞれの関連性が強くあたかも長編小説を読んでいるかのよう。個人的にはラストの「イン」が好きでした。視覚メディアとは異なる小説ならではの想像力を刺激してくる内容でしたね。

もう一人が吉田修一。純文学からエンタメ小説までオールラウンダーな作風が魅力的なんですが、とにかく群像劇が上手い作家さんだと思ってます。

その最高峰だと感じているのが『横道世之介』。長崎から東京へ上京して来た図々しい割には押しの弱い青年 横道世之介の学生生活が描かれた青春小説。ストーリーの視点は主人公の世之介というよりも世之介を取り巻く人物たちであり、彼らの過去と現在が描かれています。何て事ない日常ではあるけれど、どこかノスタルジックで読み終わった後にはまた世之介に会いたいという気持ちにさせられました。本作は映画化もされてまして。これがまためちゃくちゃ良作な青春映画です。

また『パークライフ』も良かったなぁ~。読んでてあんなに心地良くなる小説は初めてでした。おかげで舞台となっている日比谷公園には時々行くようになりましたし。

両氏とも最近新作が発売となってますね。あー欲しい、でも本棚パンパンで置く場所ないんだよ…。ここが本の一番の悩めるポイントですよね。

 

「読書はした方が良い」的なお話

昨今、若者の活字離れがなんちゃらとか読書にはなんだかの効果がある等、子供や若い人を筆頭に本を読んでもらおうとする「読書したほうが良い」ニュアンスの話題をネットやTVで時々見かけます。まぁ確かに読解力や言語力はどんな場所でも必要になってくるので、読書するに越した事はないと思います。

しかし、だからといって「読んだほうが良い」を念頭に読むのは恐らく続かないでしょう。人間って「しなくてはいけない」のようなノルマを課したらなかなか継続しない生き物です。尚更、読書ほどの時間や労力を掛けずに学んだり楽しんだりする視覚的・聴覚的なコンテンツが出回っている世の中からすると三日坊主になるのは予想が出来ます。

そこで大事になってくるのが、本がある環境に慣れ親しんでいるかどうかだと思います。これ、大人になってからだとなかなか難しいですよね。だから本を読む人間に育って貰いたいのなら、小さいうちから親しんでもらえるようにするべきです。先ほどの読書感想文にしても然り、親御さんであれば子供を図書館に連れて行ったり好きな本選ばせて買ってあげるとか。こうした論ではない実物を前にしたきっかけ作りがあると良い気がします。

 

まとめ

はい、20代の青二才が偉そうなこと語りました。まぁいつもの事かw。

ちなみに本は文庫よりハードカバー派です。持ち歩くにはちょっと嵩張りますけど、重さがあった方がしっくりきます。それに文庫よりもハードカバーは表紙の触り心地やページのめくり心地に個性が出るので好きです。まぁ図書館だとあんまりないんですけどね。

ということでこの辺でお開きです。ありがとうございます。

 

第90回:映画『ボーダーライン』感想と考察

今回はドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品『DUNE/デューン 砂の惑星』の公開を記念して私がヴィルヌーヴ作品で最も好きな(その時によって2016年公開『メッセージ』になるかも)2015年公開『ボーダーライン』を語っていこうと思います。毎度のことながら、ややネタバレ注意です。

 

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イントロダクション

アメリカとメキシコの国境地帯で繰り広げられる麻薬戦争を描いたクライムアクション。第88回米国アカデミー賞では、撮影賞・作曲賞。音響編集賞にノミネートされた作品です。

アメリカを脅かす存在となったメキシコの麻薬カルテルを殲滅する作戦に参加する事になった主人公のFBI捜査官(エミリー・ブラント)。参加したのは良いものの、謎多きコロンビア人(ベニチオ・デル・トロ)が協力者としての参加していたり作戦の概要自体が見えない状況で繰り広げられる凄惨な暴力を目の当たりにし、善悪が揺らぎ次第に混乱をしていく。

主演はエミリー・ブラント。今年は『クワイエット・プレイス』の続編や『ジャングル・ブック』が公開され大活躍な印象ですが、やっぱり『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(2014年公開)の続編が観たいぞ。続編の話ありましたよね?実現してくれないかなぁー。そして今回のDUNE/デューンにも出演しているジョシュ・ブローリンも出演しています。本作での初登場シーンがなかなか面白くてですね。お堅い感じの会議にサンダルで颯爽と現れるんです。なので私は勝手にビーサン兄貴と呼んでます。

そして製作陣もビックネームが揃ってます。脚本を手掛けるのはテイラー・シェリダン。人間のグレーな部分を描いたハードボイルドな作品が得意な方ですね。ただ今年公開の『モンタナの目撃者』はその要素が不足してたような気がしましたが。撮影監督はロジャー・ディーキンス。『007/スカイフォール』(2012年公開)や『1917/命をかけた伝令』(2019年公開)で知られる巨匠。本作ではストーリーも相まってか『ノーカントリー』(2008年公開)と精通するシャープでドライな映像が堪能出来ます。あっ『ノーカントリー』の主演はジョシュ・ブローリンでしたね。関連性多いな。

 

何だこれ?

正直な話。映画館での初見の際は理解が出来ませんでした。いつの間にか話が進んでいるというか、"そんな内容の作戦知らないんですけど…"なシーンが前触れもなく出てきたりするのです。しかし分からないからといって決してつまらないと感じる事はなく、寧ろ”何か凄いの観たんじゃね、俺?”な興奮の気持ちが残りました。その為後日改めて観てみると非常に恐ろしい映画であることに気付かされ圧倒されました。

その確たる所以が、ベニチオ・デル・トロ演じる謎のコロンビア人 アレハンドロさんの存在です。初っ端からただならぬ雰囲気を醸しており、人の心を失っている感が否めないキャラクター。そんな彼の素性と目的が明かされる瞬間に背筋がゾッとしました。ぶっちゃけ主役を喰っちゃってる存在感です。

また初見時の分からないという感情は正解で、混乱した気持ちを持たせるのための意図的な構成である事もみえてきました。まぁこれについて言及しちゃうと作品の旨味が無くなってしまうのでここまでにしますが「視点の変化」とだけは書いておきましょう。

 

ガンアクション好きとして

とにかく重厚感たっぷりでそこら辺のホラー映画よりも怖い結末が待ってる映画ですが、ガンアクション映画としても見応えがあります。

アレハンドロさんはMP5A3(サブマシンガン)とMK23(ピストル)をメインで使用。どちらもヘッケラー&コッホ社というドイツの銃器メーカーなんですよ。しばりプレーですか、良いチョイス。銃を構える姿も非常に様になってて最高です。またビーサン兄貴は、ダニエルディフェンダーM4A1を使用。最近続編の決まったNetfilx作品『タイラー・レイク/命の奪還』にも出てたやつですね。一部タン(薄い茶色)カラーになってるのがナイスなデザインです。その他グロックやコルトM4A1といった有名どころもちゃんと登場しています。

登場する銃器は去ることながら、アクションシーン自体も緊張感とリアリティーがあって面白いです。例えば序盤の国境付近のハイウェイで繰り広げられる銃撃戦(といっても一方的)のシーンは敵の発見から制圧までの流れに無駄がなく緊迫したものになっています。セミオートでの射撃スタイルもリアリティーがあります。それと終盤の洞窟での銃撃戦。主人公がメインウェポン(コルトM4A1)に被弾をするのですが、使用出来なくなってからのサイドウェポン(グロック19)に切り替えるあの動き。たまんねー!あれで白飯食えますね。

 

まとめ

以上が私の見解です。ちょっとマニアックな話が多くなりましたね。失礼しました。

ちなみに本作に続編にあたる2018年公開『ボーダーライン/ソルジャーズ・デイ』もおススメです。

ヴィルヌーヴ監督を始め製作陣が少々変わっているせいか、前作ほどストーリーに緻密さは感じられませんが、逆にガンアクション映画としての格好良さは増しています。アレハンドロさん、この作品ではUMPを主に使用してますが、またヘッケラー&コッホ社の銃なんですよ。H&K好きやね。仮に3作目があるとすれば、次はHK416をぶっ放してもらわないといけませんなw。

と、再び一部の人にした通じない事を書き出したのでこの辺でお開きです。ありがとうございました。

↓『DUNE/デューン 砂の惑星』についてはこちら。

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第89回:映画『DUNE/デューン 砂の惑星』感想と考察

いやいや、ついにこの時が来たー!公開延期から約1年を経て公開となった待望の映画『DUNE/砂の惑星』を語ります。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の新作となると私にとっては有給休暇を取得するレベルの大事件なので、公開初日の朝イチで観てきましたよ。毎度のことながらややネタバレ注意です。

 

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イントロダクション

フランク・ハーバードの同名小説を原作としたSF映画。原作の映像化としては3度目となる古典的なコンテンツです。

舞台は人類が地球以外の惑星に移住して帝国を築く西暦1万190年。人間の健康維持に必要不可欠となっていた香辛料の採掘が出来る惑星アラキスを皇帝からの命令で統治する事になったアトレイデス一族。そこの当主の息子ポール(ティモシー・シャラメ)は、同じ夢を見る事に悩まされていた。夢に導かれるように自分の歩む道を自覚していくうらで、アトレイデス家と対立するハルコンネン家の陰謀が動き出していた。

監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ。とにかく撮る作品良作ずくめですが近年はSF映画史に残るような作品を連発してます。今作も良いか悪いかは個人差として、SF映画史に爪痕を残す作品であることは確実でしょう。

そしてキャストがとにかく超豪華。ティモシー・シャラメ(2017年公開『君の名前で僕を呼んで』)を主演に、レベッカ・ファーガソン(今年公開の『レミニセンス』)、オスカー・アイザック(SWシリーズ)、ゼンデイヤ(2017年公開『グレイテストショーマン』)、ジェイソン・モモア(2018年公開『アクアマン』)等インディペンデントから大作映画を賑わす今旬な役者たちが大集結。さらにジョッシュ・ブローリン(2015年公開『ボーダーライン』)&デイブ・バウティスタ(2017年公開『ブレードランナー2049』)というヴィルヌーブ作品常連候補勢まで。いや〜キャスト発表のニュースを福岡県の豚骨ラーメンの店に並んでいる時に確認し、行列の中で一人バカみたいに歓喜した日からはや4年近く。あぁ懐かしいなぁー。

 

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ドゥニ・ヴィルヌーヴについて以前こんな記事を書いてました。

 

極限レベルの映像美

本作公開前「全世界待望の映画体験(シネマエスクペリメント)」なる売り文句をやたらと見かけましたが、そんな強調する部分?って感じてました。おまけにダサいし…。しかし見終わってみると確かに「鑑賞」ではなく「体験」だったと感じました。

とにかく砂なんです、砂。観てない方からしたら何だよそれって話ですが、砂まみれになるんですよ。お肌の乾燥が心配になるレベル(流石に盛りすぎかw)で砂漠気分を味わう事が出来る没入感。正直これは映画館、特にIMAXのクリアでデカいスクリーンだからこそ出来る技だと思いました。

また現実離れした設定のSF映画なのに非常にリアリティーのある映像なのも好みでした。ギラギラしていない質素な色彩美、登場人物たちが身に付けている服装のエレガントさ、最新鋭過ぎず現代っぽさが残るガジェットの数々。戦闘シーンのほとんどがソードファイト(しかも登場するナイフや剣はどれも片刃の東洋的デザインで、特に主人公の一族が使用しているのは柄の部分がさながら日本刀)である事がそう感じさせる所以だったように思えます。

 

ヴィルヌーヴが描くテーマ

もう一つの観点としてヴィルヌーヴが描くべくして描いた作品だったと思った事があります。逆に今までの作品はデューンの為の布石だったのかもしてないと思わせるぐらいの周到ぶりだった印象です。

まず逃れる事の出来ない「運命」、もっと言うなら「宿命」について描かれるのがヴィルヌーヴのSF作品の特徴だと考察しています。今作でも主人公が見る夢はほぼ予知夢みたいなものなので、扱っているテーマは『メッセージ』(2016年公開)と似ています。また『ブレードランナー2049』(2017年公開)でも主人公が生まれながらにして背負わされた運命とその役割を全うしていくような内容でしたし。

また人間、殊更に男性は「暴力による争い」から逃れる事が出来ないといったニュアンスがあるのがヴィルヌーヴ作品の特徴でしょう。『ボーダーライン』(2015年公開)では果てのない暴力と復讐の連鎖が描かれていましたし、『プリズナーズ』(2013年公開)でも暴力によって一線を超えてしまう父親が描かれていました。本作においては直接的な戦闘シーンや武闘派な男性キャラが多数登場する事よりも闘牛に関する描写が所々に登場するのがネックだったのではないでしょうか。タイマンでケリを付けるって書くとガキっぽいですが、そうした戦って散る事が誇りという考えなのでしょう。だからこそラストは決闘シーン(ラストにしちゃ地味ですが)で締めくくっているのだと思いました。

 

まとめ

以上が私の見解です。

申し分のない満足な作品でしたが、あまり万人にはおススメしずらい初見殺しな部分はあったように思います。ストーリー自体はヴィルヌーブ作品の割には分かりやすいのですが、物語の世界を理解する上での用語が多過ぎる。聞きなれない名前の登場人物も結構多いです。私自身は84年のリンチ版を既に鑑賞済だったので何とも思いませんでしたが、そこら辺の前提知識がないと置いてけぼりにされるんじゃないかと思いました。

それと前編であったことや84年のリンチ版を観てストーリーを知っていたからもあってか『メッセージ』や『ブレードランナー2049』ほどのインパクトは無かったかな。なので後編が絶対に製作させることを強く求めます。いやもう一刻も早く作り始めて下さい。今すぐにでも観たいんじゃー!とわがままを言ったところでお開きです。ありがとうございました。

 

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↑獲得した入場者特典。デザインは良いんだけどこのサイズ感ちょっと飾りづらいのよ。

第88回:映画『MINAMATA-ミナマタ』感想と考察

今回は現在公開中の映画『MINAMATA-ミナマタ』を語っていこうと思います。毎度のことながらややネタバレ注意です。

 

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イントロダクション

フォトジャーナリストのユージン・スミスとその妻アイリーン・美緒子・スミスの写真集「MINAMATA」をベースにした伝記映画。私、学生の時フォト・ジャーナリズムについて少々学んだ事があったので、ロバート・キャパと並ぶ有名なフォトジャーナリストであるという浅知恵程度はありましたが、日本の方と結婚された事は知らなかったですね。

舞台は70年代。アメリアを代表する写真家として称されたのは過去の栄光となり、酒に溺れ自堕落な生活を送る主人公 ユージン・スミス(ジョニー・デップ)。そこに日本から来たアイリーンと名乗る女性(美波)が訪ねる。彼女は熊本県水俣市チッソ工場から流れ出る有害物質によって苦しむ人々を撮影して欲しいという話を持ち掛けに来たのだった。最初は乗り気ではなかったユージンだったが、惨状を目の当たりにし再びカメラを手に立ち上がる事を決意する。

パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズやティム・バートン監督作品でのキャッチ―なキャラが日本でも大人気のジョニー・デップ。主演作品はかなりお久しぶりな気がします。去年、一昨年あたりあったけか?ここ最近はスキャンダル等でプライベートがお忙しかったからかもしれませんが、相変わらず色気はダダ洩れです。

そして水俣病がテーマとだけあってか日本人キャストも実力派揃え。真田広之浅野忠信國村隼という海外での活躍が目覚ましい3人が揃った時点でなかなかのキャスティングです。

 

こういうジョニデが見たいの

まずこれが言いたかった。個人的にはポップなキャラクターよりも硬派な出演作品の方が役者としての芸達者ぶりしっかり感じらる気がして好きなんです。

私、ジョニー・デップ出演作品は何が好きかと言われると2009年公開『パブリック・エネミーズ』と答えたい人間なんです。大恐慌時代に暗躍したギャング ジョン・デリンジャーを演じた作品。作品全体としてはまぁまぁだった印象ですが、デップ自体のカリスマ的格好良さが遺憾なく発揮させられていると感じました。まぁトレンチコートにトンプソンという出で立ちの時点で勝ち確定ではありますがw。

で、本作ではアルコール依存症沖縄戦の経験等で心身共にボロボロの状態のなか力を振り絞ってシャッターを切る姿を体現しています。まさに入魂といったその演技。演技力の凄みを味わう事が出来ました。

 

気になった点

個人的かもしれませんが首を傾げてしまう部分がありました。

それは、本作において日本の報道機関がどのようなアクションを取っていたのかについてが全く描かれていない事でした。これでは、あたかも日本の報道機関は機能しておらず、一人のアメリカ人という言ってしまえば外部の人間によって水俣病の真相が暴かれた見方が出来てしまうと思ったのです。それはどうよ?

ということで、実際にどうだったのかをちょっと調べてみましたところあながち間違いではなさそう。つまり、日本の報道各社はこの水俣病に関してだいぶ後手に回っていたという事です。

ユージン・スミスのよる「MINAMATA」の写真集が発表されたのが1975年で、実際に取材をしていたのが1971~1974年。しかし被害自体は50年代から確認されています。

初めて報道として取り上げられたとさせるのが1954年。地方紙である『熊本日日新聞』で「ネコ100余匹が次々と狂い死にした」と報道されました。そこからの60年代における水俣病関連の報道は『熊本日日新聞』では度々取り上げられていたようですが、全国紙等で大々的に取り上げられる事は無かったようなのです(朝日新聞に限った話で他の新聞ではどうだったかは分かりませんでしたが)。

当時、ネットメディアは当然なければテレビの普及も過渡期(テレビの普及率が90%になったのは丁度70年代頃ですから)であることを鑑みると、水俣病の被害が全国的に認知されていたかどうか疑問が残ります。ましてや世界規模での認知を考えるとユージン・スミスの写真集は大きな意義があったように思えます。

社会の不正を暴くのがジャーナリズムの役割だど思うので、もう少し早くから対応をし世論としてもムーブメントが起きていれば、被害者の数も減らせたのではと思います。

 

まとめ

以上が私の見解です。

何だか感想というより少しアカデミックなお話(おかげで書くのに時間掛かりましたわ)になってしまいました。まぁ学びが得られるのは映画の一つの側面だと思うので、脚色あれど公害や報道に関して考える良い機会となる作品かなと思います。

また、エンドロールの最後に肥薩おれんじ鉄道が協賛としてデカデカと表示されるのにちょっと感動。乗ったことないんですけどねw。そもそも熊本県は修学旅行でさらっと行ったぐらいなので、ちゃんと行きたいなと思ったところでお開きです。ありがとうございました。

 

参考:

ユージン・スミス - Wikipedia

水俣病 - Wikipedia

水俣病報道の責任 1956~69 年のマスメディアの怠慢

https://www3.kumagaku.ac.jp/minamata/wp-content/uploads/2014/09/7221bd643bcee087c8a3a89168a47cfc.pdf

第87回:映画『殺人鬼から逃げる夜』感想と考察

今回は現在公開中の『殺人鬼から逃げる夜』を語っていこうと思います。毎度のことながら、ややネタバレ注意です。

 

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イントロダクション

ずばりタイトル通り殺人鬼から逃げる壮絶な一夜を描いた韓国産スリラー。

主人公は聴覚障害を持つOLさん。ある日の仕事帰り、血を流して助けを求める女性と遭遇する。助けを呼ぼうとするもそこに現れたのが連続殺人犯であり、彼の仕業であった。何とかその場から逃げる事が出来たものの、それは長い夜の追走劇の始まりであった。

私、韓国の役者に関しては明るくないのですが殺人鬼を演じているウィ・ハジュンは、韓国で有名な禁足地 コンジアム精神病院跡を舞台にしたホラー映画『コンジアム』(2018年公開)に出ていた方なんですね。友人に勧められてつい最近観たばかり。グッドタイミング。バズりたがりな心霊YouTuberのリーダーだった人ですね、たぶん。それに最近ちょくちょく名を聞くNetfilxオリジナルドラマ『イカゲーム』にも出ているんだとか。活躍の場が広がる注目株といったところでしょう。

 

とにかく走る

本作、聴覚障害による音が聞こえない事や上手く話せない事によるスリルもありましたが、近年稀にみる持久走映画であることが一番の面白みでした。

主人公はとにかく走りまくる。しかも意外と速いし、近所という地の利を活かした細い路地を駆使するすばしっこさで殺人犯をイライラさせます。これは陸上経験者説を唱えたくなるレベル。恐るべき走力、そして持久力です。

映画において「走る」行為自体が既に見応えのあるアクションになると改めて感じました。人間の基本的な動きにおける最もスピードを感じられる動きなので、追う/追いかけるという要素を付ければそこにスリルが生まれるのです。まぁトム・クルーズが良い例だと思いますけど。あの独特なフォームはこの仕組みを分かったうえであえてやっているんじゃないかと思います。

っていうか個人的に『マッドマックス』なんかが好きだったり、今年観た『ジャッリカットゥ 牛の怒り』刺さりまくったのは追走劇自体が個人的にツボなんだと気付かされました。

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「声」を聞いてくれない世の中

もう一つ感じた事としてあるのが、「声」を聞いてくれない世の中についてです。聴覚障害がある事で上手く話せないというアドバンテージはあまり関係ありません。

どんなに強く主張しても聞いてくれない理由として、まず「女性」という時点で発言を軽んじられる男性社会という側面。まぁここ最近よく見るアイロニーなので“そろそろ世の中変われよ”と感じましたが、それ以上に「妹」というポジションにどこか不公平さを感じるような場面が多々ありました。韓国はそういうお国柄なんでしょうか。家族間における年功序列や家父長制によって発生する不公平の名残があるのは日本でも同じなのかもしれません。そりゃ社会的地位や年齢が上であれば知識量や経験値も当然豊富になりますが、だからといって不公平が許されるとは思いません。「家族」という最小単位であろうコロニーで平等が成立しないようじゃ社会に渦巻く格差や差別が改善するわけないでしょうね。

ちょいと小難しい方向に脱線しちゃいましたけど、殺人鬼のみならずこうした「声」の届かない世の中に対しても果敢に立ち向かう事になる主人公のガッツにはグッと来るものがありました。

 

まとめ

以上が私の見解です。

少し公開している劇場が少ないよな。まぁ今の時期怒涛の如く注目作が封切られてますからね。致し方ないかぁ。

人殺してる割には人相の良い好青年な殺人鬼さん。動機や生い立ち不明の設定は良かったけど、ちょいと物足りんかった。男性に対しては少々弱気な印象を受けたからかもしれませんし、もっとゴリゴリのサイコパス感出しても良かったのかなと。

あと終盤の方で『シャイニング』からの『悪魔のいけにえ』なオマージュ連打シーンがありましたけど、ホラー好きならヨダレが垂れるんじゃないかな。ああいうの気付くと嬉しくなっちゃいますよね。

ということでこの辺でお開きです。ありがとうございました。

第86回:映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』感想と考察

ついにこの時を待っていた!今回は1年半の公開延期を経てとうとうお披露目となった映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』を語っていこうと思います。毎度のことながら、ややネタバレ注意です。

 

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イントロダクション

英国が誇るスーパースター ジェームズ・ボンドの活躍を描いた「007」シリーズの25作目。『007/カジノロワイヤル』(2006年公開)から5作品を演じてきたダニエル・クレイグ最後の作品になります。

一線を退きジャマイカで暮らしていたボンド(ダニエル・クレイグ)のもとに旧友(ジェフリー・ライト)が仕事の依頼をしてくる。任務の内容は誘拐されたロシア人科学者を救出すること。彼は最新鋭の生物兵器の研究に携わっている人物であり、彼と共に生物兵器も持ちだされていた。英米国が探り合いをする中ミッションに挑むボンド。次第に世界に脅威をもたらす黒幕にたどり着くことになる。

ダニエル・クレイグを始め前作『007 スペクター』(2015年公開)から引き続きレア・セドゥ、ベン・ウィショーレイフ・ファインズらが出演。レイフ・ファインズは『キングスマン』の新作公開も控えてますからね。鼻なし魔法使いから「英国スパイ」が板についてきてます。また、今作の悪役を演じるのはラミ・マレック。『ボヘミアン・ラプソディー』の印象が強烈に残っているせいか、ちょいちょいフレディ・マーキュリー味を感じるのでダークサイドなライブエイドが堪能できます。

監督は『ビースト・オブ・ノー・ネーション』(2015年公開)のキャリー・ジョージ・フクナガ。日系アメリカ人という事もあってか、かなり日本を感じさせる要素が散りばめられています。


絵作りをこだわり抜いたダニエル・クレイグ

ダニエル・クレイグ版007の最たる特徴だと思うのが洗練された絵作りです。なんせ『スカイフォール』&『スペクター』はサム・メンデスが監督で『スカイフォール』時はロジャー・ディーキンス。『スペクター』の際はホイテ・ヴァン・ホイテマが撮影監督を務めてましたからね。人選からも絵作りへのこだわりが伺えますが、今回もそのシャープでエレガントな雰囲気が徹底されています。『ビースト・オブ・ノー・ネーション』も非常にシックな雰囲気に仕上がってましたから、当初監督が予定されていたダニー・ボイルよりもキャリー・フクナガで正解だったように思えます。

特に今回はカーチェイスの格好良さが冴えてました。序盤のイタリアのシーンでは、バイクで疾走(予告でも使われていたバイクで階段を駆け上がってジャンプするシーン、マジ最高)からの定番のアストンマーティンによるチェイスシーンが展開。

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↑日比谷で展示されてました。かっけー。

スカイフォール』の時と同じくフロント部分に隠された(今回はヘッドライトから飛び出してました)ガジェットが炸裂。しかもチェーンガンにアップグレードされてる!ああいうの厨二心くすぐるしょーもないアイテムって良いですね。中盤のカーチェイスは打って変わってリアリティのあるものになってました。泥や水しぶきを立てて突進してくるゴツいランドローバーを相手にトヨタランドクルーザーが頑張ってました。あの荒野の感じも上質感がありました。

それと終盤の階段での戦闘シーンはカットを切らずに随分と長いロングショットになっていたのもナイスでした。『アトミックブロンド』(2017年公開)やNetflixドラマ『デアデビル』(2015~2018年)でも長回しの階段ファイトシーンがありましたが、流行りなんすかね。


時代が色濃く反映

本作、ダニエル・クレイグ版の集大成であると同時に次の時代の007像も見据えた時代を色濃く反映させた作品になっていたと思います。

まず「ジェームズ・ボンド」という存在が、ラストも含めいかにも現代的な英雄像になっていた印象を受けました。ライトで単純な格好良さを持ったヒーローではなく、愛する人の為に体を張り、過去の因縁にはきっちり落とし前を付ける重みあるヒーローが求められている時代なんだと思います。

またこれも昨今の流れでしょう。過去作と比べて女性キャラクターの描き込みが深く、それぞれがちゃんと魅力的に見えたのもポイントでした。哀しさと強さを兼ね備え前作以上の存在感を放っていたボンドの恋人マドレーヌさん。“先輩には負けないっす”オーラ満々でMP7の構えが堂に入ってる次世代の00(ダブオー)ノーミさん。登場シーンは短いながらしっかり爪痕を残すポテンシャルが高過ぎるキューバのスパイ パロマさん。この3人の活躍なくして今回のジェームズ・ボンドは語れないレベルだったと思います。いや私、007シリーズは全部観たわけではありませんが、ボンドとの絡みのシーンが一番の見せ場っぽく描かれる事が多くて意外ところっとお亡くなりになったり登場シーンが少ない存在で終わるのが多かったと思います。それと比べると、女性キャラクターが物語の推進力を担っていたのは変化のポイントだったように思えます。

 

まとめ

以上が私の見解です。

全体的に満足ではありましたが、約2時間半と長い割には“もっと観たいのそこじゃなくて…”なこそばゆい感じが残った気はします。キューバのスパイ パロマさんの活躍や能面姿の悪役 サフィンさん。それとボンドとキッズの掛け合いをもっと観たかった。殺しのライセンスを持ったヤバめな人間が子供と対峙ですよ。掘り下げれば絶対面白いのに。まぁまぁな料理しか振る舞えなかったんだから挽回シーンが欲しかったよ。

あと恒例の武器について。ジェームズ・ボンドといえばワルサーPPKですが、今作ではSIGのピストルをメインで使用していた印象。ただし肝心なとこで活躍がするのがワルサーPPK。デカくてゴツいだけが銃じゃない!持つべきものは携行性の高い銃なんですw。

はい、ということでこの辺でお開きです。ありがとうございました。

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↑私がもっと観たかった能面。無機質な感じが気味悪くて好みなんですが、出番が少ないのよ。

第85回:映画『空白』感想と考察

今回は現在公開中の映画『空白』を語っていこうと思います。毎度のことながら、ややネタバレ注意です。

 

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↑発狂してる顔と土下座のコンボってなかなかのインパクトですね。

 

イントロダクション

『ヒメアノ~ル』(2016年公開)や『BLUE/ブルー』(2021年公開)の吉田恵輔監督のヒューマンサスペンス。

事の始まりは田舎のスーパーの化粧品売り場。そこで万引きをしようとした女子中学生がスーパー店長に捕まるものの逃走。逃げた先で車に引かれて死亡してしまう。これが単なる悲劇で終わると思いきや、死亡した女子中学生の父親が激昂。娘はあらぬ疑いをかけられたとスーパー側を責め立て、さらに学校側にはいじめを疑い糾弾。マスコミやネットをも巻き込んで思わぬ方向へと転がっていく。

主役の一人である荒っぽい父親を演じるのは古田新太。私個人としては『逃げるは恥だが役に立つ』や『あまちゃん』などTVドラマではちょくちょく見かけてましたが、映画ではお初だったかもしれません。そもそも映画での主役は7年ぶりなんだとか。

そしてもう一人の主演である松坂桃李はちょっと頼りなさがあるスーパーの店長。今年は『あの頃。』や『孤狼の血LEVEL2』と変幻自在な演じ分けで大活躍。これは主演男優候補ですな。

 

「正しい」人間はいるのか?

まず本作を観て思ったのが正しい人間とは何かという事でした。

この一連の悲劇が起きた原因を考えてみると勿論、万引きを行おうとしたことが元凶ではありますが、万引きという行為のトリガーを突き詰めてみると、娘に無関心な父親と二人きりの家庭や親しい友人が居ない学校という閉塞的な環境があったように見えます。そう考えると両親や学校の教師もその罪の一端を担っているのではないでしょうか。(ドラマ化もした貫井徳郎の小説『乱反射』とどこか似てるな)

またこのテーマにおいては寺島しのぶ演じるパートのおばさんが結構キーパーソンかなと思います。この方はとにかく人の為に奉仕したい気持ちが強く、ボランティアの参加や店長が非難の声を浴びることから守る行為を積極的に行う人物。それの度が強すぎるせいで自分の行動や考えていることは絶対的に「正しい」と思っており、その正しさを周りに押し付けてしまっているのです。これがまぁー厄介。正しさの押し付けによって苦しんでいる人が居ても気付く事が出来ず、その人を逆に追い詰めてしまってます。

これらのことより何かしら問題や短所を抱えているのが人間であって、高潔で完璧な人間なんてこの世の何処にも居ないとひしひしと感じられました。

 

救いようのない「外野」

今のところ挙げてきた物語の中心人物たちにはまだ救いようがあると思いますが、最も救いようがないのは「外野」です。

事の詳細や内情を知らずに暴力的な「正義」を行使するネット社会やマスコミ。特にワイドショーはあきれ果てるレベルで描かれています。印象操作や捏造を当然の如く行い、火に油を注ぐような報道を通して一体何を伝えたいのか。ジャーナリズムについてを学んだ人が携わっているのか甚だ疑問です。まぁ所詮今のTV報道なんてイエロー・ジャーナリズム程度ってことですね。堕ちたもんだ…。あっすみません、メディア関連については学生の時にかじってたのでうるさくなりました。「イエロー・ジャーナリズム」とは視聴率や発行部数だけを目的とした低俗な報道を指す言葉です。

去年公開の『ミセス・ノイズィ』を観た時も同じような事を感じましたが、無責任な正義を振りかざす世間というのが厄災になる事を肝に銘じ、その片棒を担がないように意識しなくてはいけないと思います。

 

まとめ

以上が私の見解です。

現代日本における不安定な人間関係を考えさせられるある意味グロテスクな作品。

ヒリヒリした雰囲気のせいか中盤ぐらに悲しいでも悔しいでもないよく分からない涙が出てきましたが、その涙はラストでちゃんと感動の色に変わってくれました。空っぽの心を埋めてくれるのはふとした人と繋がりなんじゃないかと思わせてくれるラスト。人にやさしくなんきゃいかんなぁ~。

ということでこの辺でお開きです。ありがとうございました。